「気功は、信じている人にしか通じないのでしょうか?」
(再掲 2012/7th/Aug. 1st updated)
自分の人生は自分のものです。あなたが観たように世界は在るのです。
自分のwant toをすればよいのです。ゴールが現状のコンフォートゾーンに留まるならそれでいいと思います。実際は大半の人がそうです。
ある人は「なんで、荒唐無稽なゴールなんて必要なの?普通に生きればいいじゃない。」と言います。
その通りです。どうぞ、”普通”に生きてください。(”普通”って何のことかわかりませんが、、、)
自分が行きたいところに行くだけで十分だと思います。
「気功は、信じている人にしか通じないのでしょうか?」という質問をよく貰います。ヒーラーの方から多く頂きます。
おそらく、自らが信と不信という低い抽象度にいたあのマザー○○○と同じトートロジーにはまっているのかもしれませんね。信じるか信じないかは気功には関係ありません。
空手を習おうか迷っている人が、「僕は実は空手は信じていないのですが、いくら殴っても感じない、どんな強いやつにでも勝つことができますか?」ときくのとある意味同じ質問です。
それに対しては、こう答えます。
「空手は信じる信じないではありません。但し、あなたが相手を倒せるかどうかはあなた次第です。あなたは、その相手を自分で倒す気があるのですか?では倒せるまでやれば?相手も練習していますが。want toならどうぞ。倒す意味があなたにあるのならば、、、。」
イエスも自分の生まれ故郷では、奇跡は通じなかったという話は有名です。
大学病院へ行っても捻挫は治せません。シップかよくてテーピングで終わりです。
酷い捻挫でも15分で治してしまうヒーラーはいます。
僕自身は捻挫をしたクライアントにあったことがありません。
治せるかどうかなど、一回一回分かりません。例え10000回だめでも、10001回目はナントカ、、、と歌うドリカムのように(?)、全てはエピソードです。
統計など一回一回の施術には意味はありません。
人類がまだ一度も治したことがないという種類の病気の患者さんが、気功師に「治りますか?」と聞きます。もとより、気功師には病院では治せないと判断されて手放された方が多く訪れてくるのです。
別に重病とは限りません。病院では処方はされるけれども決してはっきりと治してはくれないもの。五十肩や魚の目や股関節痛、腰痛、眼精疲労、高血圧、偏頭痛、不定愁訴、うつ症状、更年期障害などなどです。
僕は「治りますか?」と聞かれると「やりますか?」と尋ね返します。クライアントのゴールが重要です。
それでも、結局「治りますか?」ともう一回聞かれたら「分かりません。」と答えます。
面倒くさいからです。「治せます。」とは言いません。(文字通り、身も蓋もないのです。種も仕掛けもなくという意味で使っています。)
治るのか治らないのかなど、分かるはずもありません。
仕事として受けるまでは、僕は絶対に治りますとはいいませんし、それが真実です。
もし、どんな病気も治せるヒーラーがこの世に1人でもいたら、誰も死ななくなります。
当たり前のことですが、自己責任の感覚がないクライアントと付き合わないのは僕のポリシーです。
もちろん、そんなことは分かりきった上で、「治せます。」というヒーラーがいてもいいと思います。それぞれの自己責任で生きればいいと思います。
また、ヒーラー側の話ですが、ヒーリングで重要なのは、しっかり相手を支配することです。(これは、認知科学の用語です。)担当医が一緒に泣いていては、クライアントは途方に暮れるしかありません。
また、信じるからかかるのであればそれはオカルトです。その論理(信じるか信じないかという抽象度)で考えれば、気功は信じなければ掛かりません。
しかし、どの論理でもって説明してもある程度の整合性は取ることができます。
ヒーラーとクライアントがどの抽象度を選ぶかだけです。論理とは実に弱いものです。論理など実は存在しえないというくらいに弱いものです。特に我々の扱う気功の現象を説明するにあたり鮮やかで明確な説明など困難を極めます。科学とは仮説の集積であるからです。
実際、コンピューターのプログラミングにもかならずと言っていいほどバグがあります。ミスがあるのです。だから、ひっきりなしにハッキングされては修正のパッチを配布しています。
ましてや、僕らが使う言語での論理など穴だらけですし、論理の鎖は切れ目だらけです。だから、簡単にいたるところでカルトが成立するのかもしれません。
携帯電話は信じるからかかるわけではありません。孫さんの地元福岡ではsoftbankの携帯はよく繋がるのかも知れませんが、札幌では、限られた場所でしかなかなかアンテナが立ちません。これは僕が孫さんをを信じていないからでも、携帯電話という科学技術を信じていないからでもありません。
アンテナが足りないのです。電波が足りないのです。(しかし、これからはもっと通じるようになるとCMでは語っていますので、期待せずに静観しています。かれらが法的にはウソにならないように、ホラを吹くことには慣れています。)
ただ、信じていない人というよりも望んでいない人に気功をかけるのは、大きな迷惑です。
よほどの緊急事態なら別でしょうが、、、本人の意識がないとか。捻挫ぐらいでは相手が本当に望んでいない限りは、やろうか?いいよ。程度では大きな迷惑です。(治っても)
いくらか治っても、認めていまません。殆んどの腰痛や頭痛など結局は放っておいても治るからです。
だから、お金をとる必要があります。プロである必要があるのです。
初めに、施術の代金を宣言することです。プロであることを伝えるのです。
別に、その上でフリーミアムをするのは構いません。割り引くのも別に自由です。(まあ、プロである必要もなく、僕の意見を言っているだけですが。)
抽象度をしっかりあげます。
自問自答するときに最近僕が自分で確認する全ての質問への答えがあります。
本来は全ては空ということなのです。
決まった未来などありません。絶対など何もないのです。自己責任、自分次第です。
信じていない人も気功は通じるのかどうかは、喫茶店や電車や駅でもいって、練習をしてください。
僕は練習ならOKという立場です。
(先ほどの「呪い」の論理と全く逆ですが、、、わかっています。矛盾しています。しかし、僕はあえて養成講座生には言います。電車でどんどん練習をしてください。自分でその質問の答えをだすのです。ただし、自己責任でね。)
周囲の人をどんどん幸せになるように、書き換えます。
毎日会う同僚や上司、家族やファストフード(?)のスタッフやレギュラーのお客さんを
幸せに書き換えます。
美容整形やアンチエイジングを仕掛けます。LUBをとって、相手の理想の未来を観てあげるのです。ヒーリングも同じ原理です。
カラオケボックスで僕がとなりの部屋の人にスーパーボイスを仕掛けます。2時間に彼や彼女の発声が変わります。(プロのように上手くなるためには、正しいボイストレーニングうたい方の問題がありますが、自分でコントロールできない筋肉の使い方は明らかに変わります。)
ヒーラーが信と不信の間をさ迷う原因は、ホメオスタシスですよ。
ドリームキラーなど本当はいないから。という考え方も時には必要です。
ドリームキラーを仕立て上げるためにホメオスタシスは、ドリームキラーを仕立て上げます。言い方を変えれば、最大のドリームキラーは自分自身です。
それほど、コンフォートゾーンの外にでるのは不安なのです。
重要なことは、自分の状況をしっかりと俯瞰することです。
観自在菩薩のお話は、苫米地博士の著書「脳と心の洗い方」でラストにありますよね。観る事が自由に出来ると、自分が自在になるということでしたね。
お金をとって、カラクリを説明をして、施術をして引き続き自分でも治させることです。
気功が効くか効かないかではなく、クライアントは治ればいいのです。ヒーラーの仕事は治すことなのです。
しっかりとお金をとることは、相手が望んでいるかどうかの(別に信じているかいないかという見方をしてもいいですが)リトマス試験紙です。きっちり支配(コントロール)してあげることです。LUBをとることも同義です。
料金があると、逆に嫌な人は、初めて断われるです。「お金がないのです。」とはっきりいえます。それは、相手にとっていい口実です。しっかりと、代金を付けることです。
えっ、2,000円?それじゃあ、断れないですよね。
ガンになったという話をしても、知っている人が「僕が治してあげるよ。僕は医者なので、、、無料でやります。あした僕の病院においで!」といわれても困るでしょう?(笑)医者ぐらい自分で探したいですよね。
現在の僕の考え方です。参考にできるところはしてください。意見の違う人はいると思います。自分の思う様にされたらいいと思います。
まさ
僕はこのバージョンがあれば、こちらをお勧めしています。中身の文字情報は同じかと思いますが。非言語での情報で違うように感じるからです。(真偽は不明ですが。書店で持ってみて比べて下さい。)
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あまりに素晴らしいので、当方のブログで紹介させていただきました。
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>四ツ谷のバレリーナ専門気功整体「まといのば」さん
ありがとうございます!
m(@@)m
自灯明という考え方こそが楽しいと教えてくれたのは「まといのば」さまです。
感謝しています。自己責任で楽しませていただいています。