自分をしっかり観ると自由に観ることができる。自分をしっかり観ると心は自由になる。
観自在菩薩の「観自在」の意味とは、「自分の在るところを観る。」そして「(世界を)自在に観る。」です。
いきものがかりの「 Yell 」という歌をご存知ですか?
僕には、歌詞が「止観」を表しているように聞こえます。
自分の在るところを自分に問いかけるところから始まります。
自己吟味は、大切です。
例えば、この歌詞では「僕らは、『みんなでいると楽しい。孤独は寂しい』というフレームを与えられているのかもしれない」と疑っています。そして本当なのか?と、自己吟味するのです。
孤独とは、一人・スタンドアローンです。寂しいという意味は元来ないはずです。が、僕らは孤独と、寂しいという情動とをワンセットで考えてしまいがちです。
それは、予め刷り込まれてきた『みんなでいると楽しい。孤独は寂しい』というフレームが自動で発火している可能性があります。
さよならも同様です。
歌詞では「さよならは悲しい言葉じゃない。」と言っています。さよならという言葉と、悲しいという情動に直接的な因果関係はないということです。
「労働に価値がない。」と同じです。(こういうと、顔を真っ赤にして怒る方々がいますが)
労働を価値に変えることはできます。例えば、アルバイトは時間労働を貨幣と価値交換をしています。この場合、労働で価値を生み出したと見えますが、労働そのものに価値があったわけではないのです。たまたま労働を必要としていた人がいたから、労働と価値が結びついて価値交換が成立したのです。
(余談ですが、労働と貨幣を交換することで資本家は剰余価値を手に入れます。資本家はこの剰余価値を再び資本投下に用います。拡大再生産ですね。しかし、労働者は基本的に永遠に等価交換を繰り返すのみです。)
歌詞の話にもどります。
「さよなら」とは、「左様なら」という意味です。「左様なら」って、現代風に言えば「それじゃあ」という言葉ですよね。まあ、「それじゃあ」といって、別れるわけです。それだけです。
なので悲しい別れもあります。
例えば、好きな人と別れるのは悲しいでしょう。
それから、本当に自分が心の底から行きたいところがない状態の人には、昨日までと同じような毎日がないと知るだけで、寂しいからと思うのかもしれません。悲しいからと思うのかもしれません。
卒業式では、かなり泣く人が多いですね。それを揶揄するつもりもありません。情動が発火するのは悪い事とは思いません。どのような説明でもつくと思います。
しかしその正体はホメオスタシスフィードバックだと僕は思っています。
楽しい別れもありますし、情動すら動かない別れもあるのです。ゴールがないと現状維持のシステムが働いてしまうのが人間の脳の仕組みです。
「さよならは悲しい言葉じゃない。」「労働に価値はない」が同じという意味は「全ての場合において、A=Bではない。」ということです。
「悲しいさよならはあるよね。」「労働に価値が生まれることはあるよね。」なら良いと思います。
この「YELL」もどんな歌も、アプリオリに信じ込まされてきた、あるいは自分が受け入れてきた固定的な概念があるところは取り除きながら、自己吟味をしながら聴いて見てください。
自分で思考するためには、「知識」をもって「自己吟味」をするということが必要です。
現在、当たり前と思っている知識を吟味してみるということです。
それが、自由になることにつながるのです。
「学校の勉強など役に立たない。そんな知識じゃなく自分で経験したことだけが知識なんだ!」と言う言葉を聞いたことがあると思います。
半分(以下でしょうが)は当たっていると思います。
経験は大事でしょう。当たり前です。
本人にとっては、当時嫌で仕方なかった先輩のいじめも、否定したくないのが経験なのでしょう。
記憶の自己、過去の経験を現在の自分と同一視してしまっています。過去はもう終わったのです。しかし、「愛をもって殴ってくれたんだ」と無知で乱暴なだけの先輩の行為を追認する側に回ります。そして、自分の「愛のあふれたど根性教育」の正当化につなげるのはどこの世界でも一緒です。
スポーツ、サラリーマン、OL、飲食業界、、、ジャンルを問わず底辺では、今でもそんな世界が当たり前なのかもしれません。
競争や勝負の世界は弱いものいじめが鉄則です。
閑話休題
高校大学を卒業してから、僕などは30年間近くも新しい知識を入れることなく過ごしてきていたのですが、少しばかりの勉強というのか読書めいたことを始めて愕然としたのは、自分の無知を思い知らされたことでした。
勉強すればするほど、こんなのまだ勉強でもなかったんだと思い知らされます。
自分のゴールを設定する、そのゴールを目指す。
そのためには、知識が必要です。知識もなく、瞑想しても、なにか苦しい思いをしながら経験してもどこへもたどり着かない(いや、運もあると思います、知識がなくてももちろん生きてはいけると思います。)
僕は今、そう思っています。
この歌詞も、「僕」には、現実世界「から」目覚めよというメッセージに聞こえます。
現実世界とは、「僕」が思い込んでいた現実世界です。
現実世界とは、単に脳が現実だと感じている幻想に過ぎないということを知ることです。
物理的な体験は脳や身体レベルでしているのですが(いやいや、脳は真っ暗闇の中に浮かんでいるだけです。脳は直接体験など何もしていないですね)、物理的現実と僕らが思っていることは、さらにその物理的信号を少なくとも脳で複数回処理をして、認識されたものです。
例えば、同じように体の一部分(どこでもよいですが^^)を擦られても、僕らの頭の中にあるフィルターで処理されて気持ちいいのか、痛いのか、痒いのか、さらに情動までその時その都度まちまちに評価しているのです。いつ、どんなシチュエーションで、誰が(誰と)、どのように擦ったのかです。
(何のことを言っているのかというのも、あなたの脳が勝手に想像したことです。人によって違う想像をします。それぞれがもつ知識と経験というフレームで変わります。)
私たちは、リアルタイムで経験している目の前のマジックショー、ユーザーイリュージョンを見せられているということになります。
まさ^^/
2010年に、川崎駅の大型ビジョンで流れていたのがYell。
「私は今どこに在るのと、、、」から始まる歌詞は止観そのもの。
Rゆらぎですね。
2010年10月に前職を辞めたのですが、、、
改めて思うと、あの現実から抜け出たのは、、、
この時に川崎で観た「AVATAR」(これは意識に上がっていたのだが)と
まさか、この「Yell」の(サブ)リミナル効果のお陰だったとは。
あの日以来いきものがかりをずっと聞いているのも、、、。
今、はっきりとわかった。
まさ^^/
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