お父様は「自分の好きな趣味にいつも没頭していました。」追悼フィードバックです。

  • お父様は「自分の好きな趣味にいつも没頭していました。」追悼フィードバックです。 はコメントを受け付けていません。

この記事は3分で読めます

まさワークスの初期の頃からのクライアント様からメールを頂きました。掲載許可を頂き少し編集をして引用させて頂きます。
僕の意識が変わった途端に、堰を切った様にメールやらフィードバックが増えたり減ったりします。不思議と僕がいうのは不思議(*-*)なのですが、、、。
特に、伝受を含めて、遠隔気功をしたことのある方々とは、情報空間で確かに繋がっているのです。(こちらの説明は、不思議なことではありません。)
縁起とは関係性のことです。キリストの説いた愛も関係性のことです。
では、メールを紹介致します。

(引用開始)
まささん、おはようございます @@の@です。
たいへんご無沙汰していますが、ブログはちょこちょこ拝見させていただいてますよ。
ご無沙汰してた理由は、実は、昨年暮れに、実家の父が他界したため、しばらく片づけその他で、あまり時間に余裕がなかったからです。
で、渋谷のリアルライブも大変興味あるのですが、その日は、法要と重なるため、参加できない次第です。
なんか、父が亡くなり、大変寂しいのですが、初めて家族の死を経験して、なんと言うか、うまく言えないけど、少し生きるのが楽になったような気がします。
今までの自分は、「長生きするため生きている」とか「病気にならないようにがんばっている」だけではないか、と気付きました。
私の父は若い頃から病弱で、幼少の頃の私は、なんとなく、(多分、母が親戚の人と話してるのを聞いて)、父は寿命が短いのだろう、と、思うことがありました。
ところが、そんな父が、85歳という長寿を全うでき、しかもほぼ「ぴんぴんころり」に死ねたのは、本当に「WANT TO」の生活をし続けたからだろうと思います。
若い頃から、自分の好きな趣味にいつも没頭していました。
父の死をきっかけに、なんか蛇が脱皮するように、私も一皮むけたような気がします。
なんか、フィードバックでもなく、私的な近況報告になりましたが、なんか、まささんに報告したくなりメールさせていただきました。
(ブログ掲載はどちらでもいいですが、掲載する時はあまり詳細にならないように装飾しての掲載ならOKです)
また、今後も、まささんの活躍を期待していますので、よろしくお願いします。
(引用終了)

素晴らしい気づきだと思います。
今迄の自分が「長生きするため生きている」とか「病気にならないようにがんばっている」だけだったのではという気づきは素晴らしいと思います。
私たちは、当然(?)生きるためにプログラムが入っています。それが、生物であり、DNAであり、ホメオスタシスです。
動的な平衡状態を保つために、代謝を行っている存在が生命です。
よく引き合いにだす、スピの代表的な悪魔の(様な)質問は「私たちは、どこから来てどこへ行くのだろうか?」です。
答えがありません。私たちは、どこからも来ていないし、どこへも行きません。
目の前にある、コーヒーは次の瞬間には、私たちの体の中に入りその水分などの分子が吸収されて、私たち自身となり循環によって体中の細胞へ吸収されて、不要となった分子が排出されてという代謝が絶えずおこなわれているのです。
呼吸によって常にガス交換が行われていることも、生命現象の一つです。今吐いた二酸化炭素は、先ほどまではあなた自身だったのです。
私たちの皮膚の上には、1平方センチあたりに10の3乗~6乗のオーダーで常在菌が生活をしているのです。その数は1兆個と言われています。
腸内常在菌は200兆個です。私たちの細胞は60兆個ですから、人間とは、私とは何かと考えるときに、私とはどこ迄が私なのかと考えてみると、明確な境界線等ない事に気がつきます。
自我などない。というのは、人間一人ひとりのみならず、ものごと万物に言えることです。つまり、それぞれの存在とは、お互いの関係性の中に生まれるということです。縁起です。そして、その関係性は当然、双方向的なものであり、互いに浸潤しながら常に変化しているものです。
この世界に絶対的な基準などありませんから、あなたの「ゴール」はあなただけが決めて良いのです。そして「ゴール」があるから、「やるべきこと」が見えてくるのです。どちらも、一つだけでは存在しないのです。
「ゴール」は「わたしのゴールはなににすべきか?」という質問で、ひとりでに生まれてくるものではありません。
「私が生まれて来た事には(生まれる前に)意味があったに違いない」とお手軽に思いたいのは分からなくはないですが、偶然です。意味は自分で見つけるのです。役割は自分で決めて良いのです。
同じ様に自分自身のと深い関係のあった、縁起の近い方の死によってその少し広い関係性のネットワークを俯瞰出来たのは、素晴らしいと思います。
それぞれの、縁起や周囲の環境にはとうぜん違いがありますし、同じ様に同じ家で同じ環境で育った兄弟であっても、それぞれが違う経験(認知)をしています。
マザーテレサが、「蒔かれたところで種は育つ」(確か)と言われましたが、言葉は発した時のそのシチュエーションにこそその意味があります。マザーはポーランドに生まれて修道女になり、何度か断られても、自ら熱烈に希望してカルタッタのいわばハーレム(貧民窟)へと飛びました。
自らの役割を決めるのは、自分ですし、それはwant toでなければ結果的に機能しません。今年は、僕はあえて小乗の考え方から切り込んでいこうと思っています。究極の小乗は大乗に繋げます。
抽象度は上げていけばよいことです。自分の点数をつけるのは自分です。(ビジネスでは市場ですが)種は自分で蒔けばよいと思います。
お父様との縁起を俯瞰することで、脱皮出来た今こそ、あなたのゴールへ向かって欲しいと思います。
最後にお父様のご冥福を心からお祈りいたします。
まさ(人-)
動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか/木楽舎

¥1,600
Amazon.co.jp
世界は分けてもわからない (講談社現代新書)/講談社

¥819
Amazon.co.jp
人体常在菌のはなし ―美人は菌でつくられる (集英社新書)/集英社

¥714
Amazon.co.jp

  • 2013 01.30
  • お父様は「自分の好きな趣味にいつも没頭していました。」追悼フィードバックです。 はコメントを受け付けていません。
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

ツールバーへスキップ