誰もが一度は思うことです。だからその先を考えてみました。

次の言葉が(画家の)ゴーギャンの言葉というか、作品名だと初めて知りました。
『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』という作品名です。
そして、昨日のブログでは僕は以下の様に説明をしています。
(本文引用開始)
これは、絶対してはいけない質問です。
我々は、何処からも来ていないし、何者でもないし、何処へも行かないのです。
この質問をしてしまっても、堂々巡りをするだけです。答えがないのです。
答えがないのです。
宗教やカルトの真骨頂です。
(引用終了)
そして、コメントを頂きました。ある意味でよいコメントだと思います。僕にとっても読者にとってもいいツッコミだと思います。
コメントを引用させていただきます。
(引用開始)
でも。人生で一度は自分に問うことばです。
(引用終了)
んー、言いたいことはその先なんですよ、、、僕がまさワークスの立場でいいたいことは、その先が常に大切です。。
このコメントはもちろん、いいのですが、その続きが重要なのです。
「でも。人生で一度は自分に問うことばです。」に対しては、、、そこで、終わらずに、そこから自分の頭をフル回転させて、もっともっと激しくツッコミまくって欲しいのです。
さて、(笑)いいツッコミと言ったり、もっとツッコめと言ったりですが、説明したいと思います。
以下、僕の見解です。もちろん、僕を含めた現在過去未来(千年先以降も含めて)まさワークス関係者すべてに対してメッセージをおくります。
今の僕の見解です。
そこをついてというべきなのか、いやいや実はね、と言うべきか(僕は後者の意見なのでその言葉から始めさせていただきます。)、、、
実は、「私達はどこから来て、何処へ行くのか」という問いが出てきてしまう源は、宗教やスピリチュアルなどが仕掛けています。そして、質問者がおっしゃる誰もがそう思っているということも幻想の一つです。また、そうだとすればそう思うのは思わされているのです。
我々は、その先へ行きましょう。そこで、思考を止まらせないのです。抽象度をあげて考えます。
私達はこの世に生まれた時点から、大半は宗教洗脳済みの親や社会に様々な考えを常に刷り込まれて育っています。先祖崇拝のシャーマニズムなどは古来から世界中のほとんどの文化で見受けられていますし、うちは形だけで、無宗教だからとは言いますが、ほとんどは先祖の霊がいると本気で思っています。別に、それが悪いことではありません。先祖は、私達の記憶にある限り、心の中つまり情報空間に存在します。
さて、宗教やスピリチュアルは、曖昧でぼやっとした答えのでない質問(不安)を投げかけて、ご丁寧に答えらしきものまで用意しています。(しかし答えなど見つからずに、壮大な迷宮にはまりこむだけです。)
曰く「実は、神様がいて人間をおつくりになってね、、、。」とか、「天国があってもちろん地獄があってね、、、僕達はその、あの世から来ていてね、この世はトレーニングの場所なんだよ、、、。」などです。
ちなみに僕は、仏陀の大乗精神をサポートしていますが、それは仏説としてつまり考え方としてです。現在の仏教は仏陀の没後500年ほどしてから始まっていて、あろう事か途中でバラモン教に吸収されていて、輪廻転生という仏陀が否定した「あの世」という考え方が付け加えられているのです。
これは、バラモン教から踏襲した支配者のための論理なのです。つまり支配者が支配を続けるために、ピラミッド構造のヒエラルキーをつくり(細かくは数千あるそうですが王族としてバラモン、クシャトリア、バイシャ、そして奴隷としてのシュードラ)、今回の人生(???)で、努力して修行して奉仕して苦しめば苦しむほど、来世では上の階層にステップアップできるというポイントシステムです。
ここでは本題ではないのですが、これは支配者が支配を続けるために、下層の人達が文句もいわずに、一生懸命奴隷として修行に励むように作られた方便であり、差別思想なのです。
ちなみに、日本でもまだまだ、未だに世界に類を見ないほどの差別思想である儒教が無邪気にサポートされています。(その意味では僕は”なでしこ”ジャパンという名前は好きではありません。)
儒教は、ご存知の通り孔子の「論語」です。孔子の母親がシャーマンであり、息子である孔子が皇帝に寵愛を受けるように母親がその原型を作ったのです。(たしか)
それは、皇帝が支配を続けるためのいわゆるピラミッドを作ったのです。下には下を作るのが支配のためのピラミッドです。いくつもの階層をつくるのです。
皇帝が一番偉くて、その下に知事がいて、その下に家長、そして一番目の息子、二番目の息子、、、という具合です。そして、カーストというのはアウトオブキャストといって、必ずそのピラミッドの中にも入れない存在を作るのが定石です。
儒教の場合は女性です。女性は当時は人口にも数えられていなかったそうです。こんな差別があるでしょうか?もちろん、今でも女性蔑視は蔓延っています。
しかし、僕達の脳は自分の見たいものしか見ないのです。世の男性は(自戒をこめて)この現在まだ残っている男尊女卑の思想について知ろうとするべきです。意識に上げるべきです。自分が女性であると考えればすぐに見えてきます。
蛇足ですが、男女雇用均等法が施行されてから久しいですが、この法律を指差して、世の男性は、「ほら、日本はこんなに男女平等じゃないか。」と言うかと思います。
しかし、女性は同じ法律を指差して「ほら、日本は、未だにこんな法律がなければならないほど、女性が差別されているのよ。」というのではないでしょうか?
そのとおりです。言わなくても誰しもやることは法律になどになりません。例えば、、、「最低でも2分に1回は呼吸をしなければならない。」とか、、、。
バカバカしい例をわざと出しました。女性を差別しているというのは、それぐらいバカバカしいことだと言いたいのです。
法の下の平等がうたわれている、近代国家の法律にも同じようなことがいえると思います。しかし、その法律の下で政治家や高級官僚(たぶん順序が逆かも)と呼ばれる”一級市民”達が国政を独占して国会を運営し自分達に都合の良い制度ばかりを法律にしています。(異論はあると思いますが、例えば日本の国会議員の2世3世が国会議員になっている確率は、その他のケースの2万倍だそうです。)
まあ、私たちが思っているほどは、そう遠くない未来にもどんどん変化していくと思いますし、僕の活動は、その頃つまり理想の世界の臨場感から生まれてきます。単純に言えば、互いに協力する社会です。競争という概念をなくするのではなく、協力するという概念が競争という概念をすっぽり包摂してしまうイメージです。
(個人のレベルでいえば、have toの中でwant toを探すしかない状況ではなく、want toのゴールのなかに多少have toに見える作業もあるということです。)
僕の思いっきり抽象度を上げてみえる理想の未来は、協奏社会というパラダイムです。これは、今の社会の抽象度のパラダイムの中では”美しき幻想”ですが、そのための活動をしているという意識が実はとても意味があると思います。その為のひとつの手段として僕は遠隔気功師を選んでいるに過ぎません。
話を徐々にもどしますね。
ちなみに、仏陀は「あの世はあるのか?」という質問には「無記」と答えたそうです。何も記さないということです。仏陀が「あの世などない。」と否定しているのです。
しかし、日本の仏教は特に、しばしば「浄土教」と揶揄されるそうですが、「あの世(お浄土)があってね、、、」という、物語(ノンフィクション)から始まっているのです。もちろん、地獄も用意されています。驚愕法の典型例です。
大事なことは、この様な質問の答えなどなくても、この質問をあなたが自分自身に問えば、あなたの(ここでは便宜上の表現として)脳が無意識下でも常に答えを24時間検索してしまうので莫大なメモリを消費してしまうのです。
こんな感じです。
「ワレワレハドコカラキテ、ドコヘカエルノカ?」「カイトウフノウ!」「ワレワレハドコカラキテ、ドコヘカエルノカ?」「カイトウフノウ!」「ワレワレハドコカラキテ、ドコヘカエルノカ?」「カイトウフノウ!」「ワレワレハドコカラキテ、ドコヘカエルノカ?」「カイトウフノウ!」「カイトウフノウ!」「カイトウフノウ!」「カイトウフノウ!」「カイトウフノウ!」「カイトウフノウ!」「カイトウフノウ!」「カイトウフノウ!」、、、、、、
疑問は不安にかわり、不安もこうして、無尽蔵に広がっていきます。それが、病を作り出しているのでしょう。
我々の脳は実はとてもコストがかかります。エネルギーを食うのです。脳が本気でそのポテンシャルを最大限に使った場合、小さな変電所ひとつ分くらいのエネルギーを使ってしまうそうです。それでは、一瞬で餓死してしまいますよね。
だから、一方で脳は手抜きの天才でもあるのです。私たちが常に意識にあげられるメモリ量は、わずかに8bit(ビットはググってください)だそうです。どんな天才でも。
しかし、バックグラウンドで無意識がしている計算量たるや莫大です。心拍数や血圧、発汗量、ホルモンバランスやら無意識でやっています。
座っている時に、重力加速度を計算してお尻の筋肉の細胞が壊疽しないように、微妙に重心をずらしているのも無意識です。人間の細胞は押しつぶされたまま5分間完全に静止状態であれば壊疽が始まるそうです。
なので、一気に結論まで持って行きますが、答えのない質問を自分自身にすると、脳は寝ている間もその計算をやめないのです。莫大なメモリーが食われますし、実際に疲れますし、健康を害す恐れがあります。
答えのない質問は、無限ループとなり、ぐるぐるぐるぐる回ります。
私達は、いまあなたの手のひらで今も繁殖し死滅していっている大腸菌などの小さな生命と同じように、生まれてきて死ぬのです。(あなたが、大腸菌を同じ生命として差別していなければ理解できると思います。)
身もふたもないなどとよく言われるのですが、私達は、偶然に生まれてきたのです。(もちろん、突然出現した訳ではなく、、、偶然に偶然が重なってという意味ですが。)
本来は、別にしなければならないことなどないのです。そう思わされているだけです。
ある意味、無意識で700万年間、人類として生きるために生きてきたのです。その前もDNAとしては38億年間も無意識で生きてきたのです。
私達が生まれてきた意味は、自分が与えればよいことです。(親でも社会でも、ましてや教祖様や神様などではなく)
その意味とは、自分の好きなことをすること、自分の好きなゴールを設定することによって生まれると考えます。
それが、まさワークスのいうところのフリーゴールです。それが自由意志です。(ここでは、自由意志がありやなしやという話はおいて置きます。)
長い前置きを理由に、本題の結論は短く済ませますが、、、、。
是非気がついてください。
僕らは、何処からも来ていないし、自我などないし、何処へも行かない。それで、この問題は終わりです。(ぼくなら)研究をするなら、分子生物学など科学的にアプローチするのは良いと思います。
でも、その代わりに、自分でゴールを設定して、好きなことをすることが可能です。
「よい質問は、それ自体がゴールである。」とはアインシュタインの言葉です。
裏を返せば、抽象度の低い質問でも、脳は勘違いして追いかけてしまう、答えを出そうとしてしまうのです。
「円の面積の求め方は?」とたずねられると、考えてしまうのです。(ね?)
なので、自分の無意識へはどんどん抽象度の高い質問を投げかけて下さい。
未来の理想のゴールに関連させる質問がよいと思います。そのための負担なら脳にどんどんかけるとよいと思います。自分で選んだゴールであれば、そのゴールの臨場感そのもの、ゴールへのコストそのものが最高の幸せであると思うからです。
「自分の目指している遠いゴールへ最速で向う方法とは何だろう?そのヒントをこの本の中から探せ!」とかね。
自らが灯火となるとは、自らが行きたい場所を設定して、自らが考えて進むといういことに他ならないからです。
いつものように、荒っぽく終わりますが、、、。
まさワークスの考え方は、日常会話にありがちな「普通そうだよねー。」「皆一度は考えることだよねー。」では終わらせないことです。
あくまでも、IQを高めて、それぞれの行きたい場所に、自分の意志で、喜んで進む。そういう場所、情報場です。
抽象度をあげて、未来を、ゴールを見据えて共に進みましょう。
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