ヒーリングを受ける側も、常に自分を揺らがす条件として、ゴールや知識が必要

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秀逸なフィードバックは、ハリーの特別列車というヒーラー集団のLUBの領域全体に強烈なポジティブフィードバックをもたらします。

その様はイリヤ・プリゴジンが提唱してノーベル化学賞を受賞した、散逸構造論を想起させます。

私たちの世界は、私たちが経験し獲得した知識と抽象度で作られたゲシュタルトを強化、反映した写像そのものです。

目の前にあるのに、見えない。何かを観る為には、コチラからのアウトプットが必要なのです。関係性が無ければ、僕らは何も観る事などできないからです。

「一人ひと宇宙」でしかない点と点がつながって、縁起のネットワークが浮かび上がるのです。縁起とは何かを知りたいと求め考えるならば、自主的に求めることです。なぜならば、悟りとは体感そのものであり、それ以外ではあり得ないのです。

縁によって、起こる。関係性の中で存在が生じるとは、情報空間であれ物理空間であれ変わりません。発信する事の重要性に気がついてから発信していたのでは遅いのです。なぜなら、発信する前に、発信する事の真の重要性などわかるはずもないからです。

フィードバックの大切さは、フィードバックとは即ちヒーリングそのものだということ以上の意味があるのです。それを、本当に理解し実践しようとして頂けている参加者に恵まれて、ハリーの特別列車は強烈な自己組織化という化学反応を起こし、まさワークスの情報フィールドを揺らがせながら、ひた走っています。

情報場の中で臨場感を放ち、あるときはその輪郭が鈍く光りながら、オンラインの気功スクール「ハリーの特別列車」は、走り続けています。

High speed train with motion blur

(引用開始)

 

まささま

こんばんわ。

散逸構造というのを調べると、一定の入力があるときにだけ、その構造を維持するものとありました。

まささんがよく、例に出されるコーヒーにミルクを垂らしている状態のことですね。


今回、自分のなかで臨場感が高まったのは、
人間やその他の生命活動なんて、単なる『蚊柱のようなもの』だということでした。


たまたま寄り集まって、密度が濃くなっただけ
の…。もともと、内も外もないのですよね。


例としてはコーヒーにミルクと同じなのですが、何故だか、抜粋して下さった福岡伸一さんの文章と、まささんの表現で合点がいったという感じです。

動画で、ヒーリングを受ける側の人も、同時にヒーラーであるということも、その理論でいくと、理解がし易くなります。

カップの中のコーヒーは常に開放されている状態が本来の状態だから、ヒーリングを受ける側も、常に自分を揺らがす条件として、ゴールや知識が必要になってくる…。
ヒーリングをするひとは、自分がいかに相手をリードできるか…抽象度を高めることも大事だけれど、相手の状態や、状況にあわせて、ときには自在に下げることも必要なのは、

ヒーリングを受けるひとと臨場感を共有することで、相手のRをゆらがすこと、相手に気づかせることがヒーリングにとって第一義だから…。

対面だと、揺らがすときに言葉を使ったり、実際に肌に触れたりもする。遠隔で揺らがすときには、遠隔時の臨場感を高めることがひとつの方法でもあったのですね。

参考文献はまだ読めていないのですが、この動画と文章を読んでヒーリングをしてみると、固体のイメージが強かった気の玉を、もっと自由に捉え直すことが出来ました。

 

遠隔中に、もっと気の玉って勝手に大きくなってもいいんだ、とか、いつもきれいに丸くなくていいんだ、とか、ほんとに基本的なことに改めて気づいた感じです。
そうすると、気の玉を触る手も、自然と柔らかくなり、感じ取ろうとしてきます。
気の玉にはさらにその奥も、外もあって、もっとその先に続いてるものを、遠くから「ひら」くと、わたしの身体も一瞬で緩みました。

気功技術も、闇雲にかけたり、伝授するのではなくて、もっとじっくり、身体の声を聴いて少しづつ試す、その順番を吟味することも少しできるようになりました。

これまでは、出来てるのか出来てないのか、確認したり、吟味したりすること自体がなんだか怖かったのです。
いま、どのくらいの抽象度なのかとか、どのくらい高いとか、低いとかは厳密にはわからないけど、とにかくそれらを行き来することは大事なのだということは少しわかってきました。
それと、骨伝導についてですが、普段、わたしたちは空気の振動が外耳、中耳を経て内耳のセンサーに届く気導音と、頭蓋骨の振動が直接、内耳センサーに届く骨導音を同時に聴いているのだとさっき読みました。

あの、おかきを食べるときに聴こえるダイナミックな音が、自分しか聴こえない(自分以外の人が聴くと、ちょっと違った音に聴こえる)というのは、この骨導音のせいなのですね。

それが気功技術『セブンティーン』のトリガーになっているということでしたが、続きが楽しみで、早く動画を見たいです。
蛇足ですが、村上春樹さんの「1Q84」入院中に友人が持ってきてくれて、退院した今も読んでます。
今、文庫本の4巻ですが、世界のどこからどこまでが、どのような繋がり方をしていて、どこでどのように変化が起っているのかわからないというか、確かに巧みに描かれています。

(関西弁でいうと、「けったい」です)

関西人から観ると、村上春樹さんの文体や、その奥にあるものは、とても関西的です。一見、そういうふうには見えないのですが…

 

分からない単語は調べたり、村上春樹さんは比喩も巧みだから、その喩えを真剣に想像しながら読んだりしていると、時間はかかるけど、いろんな仕掛けがしてあって、一見退屈なその奥に、広々として息がつけるスペースがきちんと用意してあり、実際的には、至れり尽くせりという感じです。

いつも、なんでも好きなわけではないけれど、私にとっては、ときどき手にとって、その世界観に触れる必要のある作家さんです。
長くなりましたが、この辺で失礼します。
今夜はありがとうございました。

(引用終了)

何度も読み返したいフィードバックですね。

他者に与えたものが、一番多くのものを得るのは、当たり前のことです。

リアリティーが揺らがなければ、何をどれだけ見聞してもムダです。

そこには、何も生じないからです。

ルータイスのアファメーションとは臨場感技術であり、Rゆらぎです。

ここで、R揺らぎの定義を思い出しましょう。「モーダルチャンネルを変えることであり、無意識を意識に上げる。」です。

なぜ、モーダルチャンネルを変える事と、無意識を意識にあげる事がつながるのかを考えた事がありますか?

こういう事って、みんなが当然考えていることだよねと思って、ふと「本当にそうかな?」と思い直しています。

では、Rゆらぎという言葉のRを揺らがせてみてください。

モーダルチャンネルとは、五感+言葉という私たちの情報の入出力チャンネルです。

パソコンのキーボードに当たりますね。今は、音声入力も出来ますし、お財布ケータイなどを近づけるとお買い物が出来たり、赤外線やBluetoothや磁力、それにipadのように画面にタッチすることでの操作も可能となりましたね。

コンピューターも違うモーダルチャンネルでの入力と、任意のコマンド(命令)が対応することもあります。かなり融通が聞きます。(例えば、マウス操作と画面タッチ操作が選べますね。)

しかし、私たちの脳はもっと精巧いや上手い具合に適当に出来ています。

音で視覚的なマッピングが出来たりします。
大雑把な説明で恐縮ですが、音(聴覚)で入力された視覚的なマッピングと、映像(視覚)で入力された視覚的な情報処理は、全く同じ物ではありません。

入力方法も情報自体も、微差が生じます。ここで、例えばその情報自体にある種の立体感(視差による立体感のようなもの)が生じます。

僕は、この立体感も臨場感の内だと思いますし、ここで言った微差を抽象度の高いパラダイムや知識でとらえる事で、俄然臨場感が湧いてくると思います。

情報空間に積極的にアクセスする方法が知りたいならば、ひたすらフィードバックを取って観ましょう。

まさ^^

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