「苦行はいらないです。」脱洗脳をしてください!^^!
苦行しているバラモン教の信者たちをみて「バカじゃん」と言ったのは、あのお釈迦様だそうである。
しかし、お釈迦様の没後、勢力を弱めてバラモン教に一度吸収された仏教には、バラモン教の輪廻転生の思想まで埋め込まれて広まってしまった。
バラモン教は、カースト制度という完全に統制されたピラミッド構造である。いまだに残る身分制度だ。
バラモン、クシャトリア、バイシャ、シュードラと階級は分けられて、カーストの移動はできないし、結婚も許されていない。もちろん、現在もだ。
漢訳された音読みでバラモンと読んでいるが、バラモンは、正しくはブラーフマナと呼ばれ、宇宙の根本原理ブラフマンに近い存在とされ敬われる。
この宇宙の根本原理などと、宇宙がでてくるあたりが、なんとも荒唐無稽で今の日本のスピリチャリズムににている。(そしてバラモン教には絶対の神がいるわけではないが、その都度いろいろな神様がでてくるそうだ。)
そして、さらにこのカーストのピラミッドの中にも入れない身分までつくっている。
支配者が支配を続けていくためのルール、それが「支配者の論理」である。
輪廻転生は、この差別のピラミッドを強化させるためにできた巧妙な作り話である。
曰く、”あの世”があって、(釈迦は”あの世”は否定している。正確には”無記”何も述べていない。当時のバラモン教絶対支配の中ではそう言わざるを得なかったことは、想像に難くない。現在、輪廻転生の思想や、あの世や幽霊、魂などが残っている仏教は、バラモン教に一度吸収されたときにまた埋め込まれたものや、中国の道教や世界中どこにでもある土着のシャーマニズムの先祖崇拝の影響といわれている。)
日本の仏教も、浄土教と揶揄されるくらい”お浄土”つまり”あの世””天国”ありきなので、いきなり作り話から始まっている。(宗教とは”あの世”の論理なので仕方ないのですが、、、)
つまり、今、苦労(修行・苦行)すれば、来世ではもっとよい身分・境遇に生まれ変われる。というものだ。そして、この世は修行の世界なので、生まれてくること自体が苦しみと定義され、生まれ変わりの輪廻は修行の末の、悟りを得た状態で解脱することができるというものだ。
ここで、私の考えというより事実をお伝えしたい。人生はお一人様一回限りだ。
しかしながら、人間とは弱い生き物であることも事実だ。その人生をだんだんと終わり近くになって、いやもう1回あるはずだとか、あって欲しいという考え方に寄って言ってしまう気持ちは分からなくはない。(私も、そうならないとは断言できない。)また、老いて弱っている方に向かって、「天国なんてないですよ。」というつもりもない。
ただ、どんなに巧妙につくられたお話しであったとしても、人生は1回限りだという事実は変わらない。
輪廻転生、生まれ変わりの考えは、誰が作ったのか。そう、支配者がつくったのだ。身分の下の者は、現世では苦労して苦労して来世にはきっともっとよい身分で生まれてこようとがんばるしくみなのだ。
下には下(アウトオブカースト)をつくることで、みんなが納得できる構造だ。
儒教も同じように、シャーマンであった孔子の母親が作った支配者の論理で巧妙なピラミッド構造をつくりあげた。
私たち日本人は、この儒教にまだ洗脳を受けている。つまり、先に生まれた男が一番偉い。家長の次は長男、次男、、、女性は当時人口にも数えられていなかったそうである。
人口に数えられていないということは、女性は、人間扱いされていなかったということである。
苦労すれば、がんばれば後でいいことが待っている。
あまりにも、この考え方に日本人は洗脳されてはいないか。一度あなた自身を脱洗脳してみてはいかがだろうか?
もしも、お父さんよりお母さんのほうが偉いと思っていたら、あなたは洗脳されているのだ。
そういう家で育ったのなら、あなたは差別主義的な思想を植えつけられているのだ。
女子高、女子大、女性の品格、花嫁修業、良い嫁として、、、女は女らしく、、、これは、女性という奴隷を奴隷としての人生が最高であると洗脳するために作られたのではないかと疑ってみる。
少なくとも、現在、そう考えていないのであればこれらはいずれなくなるべきなのではないだろうか?
本当に性差別ではないのか?(現に、公立の学校は男女共学に変わってきているし、少子化の問題もあって、私立高校も共学化の傾向ではありますよね。)
すべての根本はこの「先に生まれた男性が無条件で偉い」という洗脳教育を無批判で受け入れてきた私たち(特に男性)に責任がある。自分たちに得するものがあると、不平等とわかっていても認識すらしていない。高級官僚や国会議員などをみれば、よく分かるが、既得権益をもった少なくとも成人した世の男性全てが、批判に甘んじなければならないと思う。
改めて「男女平等」なのだ。これからは「女男平等」と書くべきかもしれない。(”じょだん”では”女男”と変換できないワープロソフトは訴えられる時代がくるかもしれない。ジョーダンではなく。)
「お父さんが偉い」ともしいうのであれば、敢えて同時に「お父さんはそれだけでは全く偉くない。」とあえて言いきってから、でも、「わたしを育ててくれたので、ウチのお父さんは偉い」というべきかもしれない。
そういう私も、結婚してから今の今も、そうとう「男尊女卑」的な儒教思想がぬぐい切れていないと自戒を込めて書いている。役割責任すら、個別に話し合って協力しあっていく時代だ。
それから、「苦労すれば、いいことがある。」という思想は、輪廻転生のルールを作った支配者の論理であることを知った上で、この暗い考え方から脱却していく必要があると思う。
もちろん、自己責任という条件は変わらないが、抽象度の高い思考方法は教えてあげながら、好きなことをしてよいのだということが大前提にあるということを子供たちに教えていかねばならない。
つまり、どうやって自分の役割をこの社会で果たして行くのかは、自分で自由に選べることを教えていかねばなるまい。そうして、より自由度の高い世界をつくっていくのだ。
幸い現代の日本には表面上は身分制度はないので、昔のインドよりは職業選択の自由度も上がって来ている。女性差別はもちろんないとは決して言えないし続いているが、是正の方向には向いているとおもう。
それと、「勉強すれば、よい学校に行ける。」という論理を、「苦労すればいいことがある」という論理に結びつけるのはおかしいのだと思う。
これは、私もそうだったのだが、、、。
勉強が嫌なこと(苦行)であるという教えが、おかしいと疑ってみるべきかもしれない。
それは、個人的な意見であるので少なくとも、勉強ができることは素晴らしいことであるし、ものの道理を教えてもらえるということ、勉強ができるということは素晴らしいことなのである。喜びなのである。
自分が未来に起したいことが先にあって、そのことに縁を結ぶための行動をして、それが起こってくるのがお釈迦様の説いた縁起という思想なのです。
過去にこうだったから、今はこうなのだ。という暗い感じのする因果の法則というのは、支配者の論理と同じ。それでは、同じ様に今はこうだから、未来はこう。と、始めから決まっている身分制度のようだ。そして、今苦労すれば、、、という下の階層や奴隷達を納得させる為の論理なのだ。
したいことの為には、本来は努力でもなんでもないはずです。それは、脳機能科学者の苫米地博士がよく引き合いに出すニンテンドーDSを買ってもらった中学生が3日3晩
憲法では義務教育といっているが、あれは実は、教育を受けるのは国民の権利ということである。憲法自体、国民が作ったものであるという大前提から、そうでしかありえない。(確か親が子供に教育を受けさせる義務があるとうたっているのだが、良く考えるとそれもおかしい。憲法は、国民に何かを義務づけるために書かれたものではないし、そうあっては本末転倒だ。憲法に書かれてあることはその性格上、国の義務であり、国民の権利であるべきだから。)
さて、あなたは、儒教を無批判に受けいれ、霊や魂を信じ、苦行さえすれば後で(もしかして来世で)必ず救われると信じているだろうか。
自分の役割を自由に定めて、自分の好きなことをしていく。
人類は、戦って競争しなければ生きて行けないのでしょうか?
みんなが助け合い、協力をしていく、差別のない世界は必ず来ます。
そして、競争せずに協力をしてくことのほうがはるかにパフォーマンスは大きいのです。
太古の時代から支配者が支配を続けていくための評価の仕組みが競争ピラミッドだったのです。
この時代は、あと数百年を待たずに終焉を迎えます。
そうは思えませんか?でも、かんがえてみてください。
たった200年程前に、絶対王政が崩壊し、市民革命が起きています。
同じ未来を見つめるもの同士が、世代、性別、国籍、人種、宗教、貧富の差をも超えて差別のない世の中を作るための縁起で繋がっています。
リレーに例えるならば、私たちは現在、いくつものチームに分かれて、それぞれの色のバトンを渡しながら、あくせくと競争を続けています。チームのボスたちを喜ばせるために。
これからは、私たちの子供たちに渡して行く差別という名のチームは減っていき、バトンの色は階級ではなく個性を意味して、支配者の決めたルールはなくなります。
誰彼となく、差別することなく、安心して、いきいきと暮らせる世界。
僕が今、行っている気功というものも、そういう未来を見つめながらでてきた道なのです。
お釈迦さまに戻りますが、お釈迦様が菩提樹の木の下で悟ったのは、無分別智の世界です。
自分と相手との分け隔て(差別)のないという豊かな智慧の世界です。
あの世は信じない僕ですが、未来は信じています。
あなたは?^^
身体療法家 高田大