僕が自営業をしているからなのか、こう言われたことがある。『それは高田さんだから出来るんですよ。』
いやいやいやいやいや、光栄だけど、それは断じて違う!あなたにも出来る。じゃなきゃ僕はこんな投稿しない。第一あなたは読まないだろう。あなたにもって言ったけど、あなただからなんて言わない(笑)僕が出来たんだから、あなたも出来るって言っているじゃないのです。
誰でも出来るという意味です。だから、あなたでも出来る。(笑)
あなたは、誰かに役職を与えられる代わりに自分自身で好きな役職をつけることが出来る。
キング(王)でも、皇帝でも構わない。
正直に言えば
僕にとっての仕事とは、自分にとってはどうしても僕がやらなければならないものであり、やりたくてたまらないものであり、なんだか知らないが、気がついたらいつも没頭して空想夢想していることで、そのゴールは全然見えなくて自分には絶対にできそうもないことなのです。
失敗するとか計画がどうのとか、一日何時間はたらいたとかなんだとか言ってる意味が、ちょっと意地悪な言い方かもしれないけれども理解できない。自分がどこにいるからどうとかもあまり考えたことがない。
楽しいとか嬉しいとかの情動も起こるし、怒ったり、悔しかったり、不安に思ったり、落ち込んだりも、泣いたりもする。
それを問題にしている人たちって、、、『だから?』とか『暇なん?』とも思ったりする。
それって、人間だから正常だと思う。
とは言え、僕もまあまあ暇にしすぎなんですけど(笑)頭の中ではゴールがどこにあるのか探すのに必死です。
僕の好きなリルケの文章を引用します。
(「若き詩人への手紙・若き女性への手紙」新潮文庫p.14-p.16より)
(引用開始)
、、、あなたは、ご自分の詩がいいかどうかをお尋ねになる。あなたは私にお尋ねになる。前には他の人にお尋ねになった。
あなたは雑誌に詩をお送りになる。他の詩と比べてごらんになる、そしてどこかの編集部があなたのご試作を返してきたからといって、自信をぐらつかせられる。
では(私に忠言をお許し下さったわけですから)私がお願いしましょう、そんなことは一切おやめなさい。あなたは外へ目を向けていらっしゃる、だが何よりも今、あなたのなさっていけないことがそれなのです。
誰もあなたに助言したり手助けすることはできません、誰も。
ただ一つの手段があるきりです。
自らの内へおはいりなさい。
あなたが書かずにいられない根拠を深くさぐって下さい。それがあなたの心の最も深いところに根を張っているかどうかをしらべてごらんなさい。
もしもあなたが書くことを止められたら、死ななければならないかどうか、自分自身に告白して下さい。何よりもまず、あなたの夜の最もしずかな時刻に、自分自身に尋ねてごらんなさい、私はかかなければならないのかと。
深い答えを求めて自己の内へ内へと掘り下げてごらんなさい。そしてもしこの答えが肯定的であるならば、もしあなたが力強い単純な一語「私は書かなければならぬ」をもって、あの真剣な問いに答えることができるならば、そのときはあなたの生涯をこの必然に従って打ち立てて下さい。
あなたの生涯は、どんなに無関係に無意味に見える寸秒に至るまで、すべてこの衝迫の表徴となり証明とならなければなりません。(中略)
、、、もしあなたの日常があなたに貧しく思われるならば、その日常を非難してはなりません。
あなたご自身をこそ非難なさい。あなたがまだ本当の詩人でないために、日常の富を呼び寄せることができないのだと自らに言い聞かせることです。
というのは、創作する者にとっては貧困という者はなく、貧しいとるに足らぬ場所というものもないからです。、、、
(引用終了)
他者評価で生きないことです。
僕らはそれぞれが自分の好きなゴールを描くことです。
そして、上限などつけずに、湧き上がるwantに任せて、ゴールをどんどん更新して思い切り遠くを見つめ続けながら前へすすむことです。
他人がどう思ってもそんなことどうでもいいのです。
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