なぜ、頭でわかっていても、心と体は動けないのか?
なぜ、頭でわかっていても、心と体は動けないのか?
一昔前に全盛だった自己啓発の書籍やセミナーに参加しても大抵は自我を破壊されて、体のいい高額プログラムのセールスマンに仕立てあげられて、周囲から金を巻き上げて悪評がたち絞り尽くされた後に(゜゜)ノ゜ポイっと捨てられる。
そういう人を、僕の知人だけでも数十人と見てきました。
今は知りませんが一頃の証券会社や先物取引のセールスマンになった僕の知人たちと変わりません。
僕は大学生の時に就職活動らしい活動はしませんでしたが、それでも母親と電話で話しているときに「証券会社にはいろうかなー」と一言こぼしたのですが、その夜に大学在学中たった一回の父親からの電話がかかってきました。
父親は一方的に「お前、証券会社に就職するのなら、俺や親戚とは縁を切るんだな。わかったか?以上。」と言って電話を切りました。(笑)
さ、寒気を感じてきたのでw話を戻しましょう。
本来的な意味は違うのでしょうが「ビジネスは宗教」であり「宗教はビジネス」であるとある先達から教わりましたが、、、なるほど一理ありますw。
プログラム自体は、理論は古くてもそうそう間違っていない。一見するとあちらこちらに今でも十分に使えそうなエッセンスがつまっている。
しかし、問題なのは先述したようなその背後に流れている悪意(?)と言わざるを得ないアルゴリズムである。
その新興のスピリチュアル団体や宗教団体、或いはネットワークのような、カルト特有の圧倒的なな臨場感によって、当初は嗜めようとして同行した知人まで取り込まれたりする。
いわゆる「ミイラ取りがミイラになる」ように芋づる式、雪だるま式に会員が増えていくノウハウがある。
そういう僕も過去は、自己啓発書を読み、傾倒して気がついたら、五反田駅近くのあるアメリカ発の新興宗教の教会前に立っていて、寸前で我に返り、引き返した経験もある。(笑)
「止観」の知識とは、抽象度をあげる技術そのものである。
簡単なのでそれぞれ、煩悩を上手にコントロールする方法として、大いに活用してほしい。
衝動を意識できれば、煩悩の暴走を防げる。
欲求は続いても、暴走は止めさせられる。
次のパラダイムでは、暴走を続けさせているのは衝動ではなく、ロジック(=論理、理性)であるという事実を確認すること。
つまり、「自我」という、社会や環境によって作られた(洗脳された)、重要性の順に並べられた評価関数(「自我とは関数」である。)の演算がループを繰り返す結果、暴走を引き起こす。
知識があるといままで見えなかったものが見えてくる。
見えたものしか我々はコントロールできない。
見えたらそれは操作が可能になる。
まさワークスは次世代への橋渡し役として、知識こそが、あなたの抽象度を高める「唯一」の「正攻法」だと「信じて」
僕が今まで膨大な(まあ、それなりのと言い直しておきますがw)生命時間というコストをかけて獲得した知識を
あなたが得るための手助けをするための「フィルター」あるいは「梯子」として機能させるべく活動をしています。
利用してください。
自己啓発書も読む側の抽象度が問題なのです。
まさ^’^/