気功はプラシボなのか? 「土曜日は仕事に追われていて、遠隔のテーマも確認できていませんでした。」
気功はプラシボ(偽薬効果)なのか?という問題はしばしば話題に上がります。
現代の「常識」の抽象度を踏まえて話せば、気功はプラシボと言って差し支えないと思います。
というかプラシボが、情報が生体を書き換えるという定義ならば、まさワークスでいう「気功」もまさに同じと言えます。
気功であれ、何であれ、プラシボ効果は現象として起こることは周知の事実です。
製薬メーカーも、新薬の開発にはグラフを描いてプラシボ効果のラインと比較をするそうです。
クライアントにとっては、プラシボだろうが何であろうが、重要なことは結果でしかありません。
その結果にフォーカスすればこそ、やはり知識や抽象度が必要なのです。
何故なら、情報が生体を書き換えるからです。
卑近かつ雑な例と思われるかもしれませんが、「恋愛をすれば、美しくなる」のも同じからくりです。(多分)
(引用開始)
高田様
○○です。
土曜日は仕事に追われていて、遠隔のテーマも確認できていませんでした。
しかも、仕事をしていて23時を過ぎていたことにも気がつきませんでした。
23時半過ぎ、腹痛でトイレに駆け込みました。
そこで、始めて遠隔が終了していたことに気がつく始末。
かなり情けなかったです。
後から、ブログで「下丹田ピンポイントでGalaxy大周天」と確認して、あのときの腹痛→便秘解消はこれだったのかと、得心しました。
(引用終了)
知識があって、経験し、フィードバックを丁寧にとっていく作業は、時に我々を勇気づけてくれます。
知識は重要です。
思考を止めないことです。
クライアントのリアリティを揺らがす為に、プラシボというフレームを「使う(使役する)」感覚です。
リアリティの書き換えとは、入力する情報のみならず、クライアントの自我関数を書き換えるために行うのです。
語義矛盾を感じるかも知れませんが、ヒーラーがフォーカスすべきは、先ずはこの一点です。
何故ならば、結果にフォーカスをするあまり、抽象度を落としては、結果が出ないからです。
「想い」や「祈り」はしばしば、ヒーラーの抽象度を下げてしまうのです。
大切なクライアントや、愛しい我が子への深刻な状況下でのヒーリングの時こそ、この教訓は痛感します。
ここでも、「淡々と飄々と、遥か遠いゴールを見つめる」風景(フレームと言い換えても良いでしょう)を忘れないことです。
情報空間の操作の仕方は、ある意味では、我々の大多数が常識として持っている物理空間での感覚と真逆なのです。
更に抽象度をあげ、一歩進めて言うならば、物理空間を鮮やかに書き換える方法そのものです。
「情報が物理を書き換える」です。
まさp(^^)q