【アメ限解除】僕が南極について話している時、彼女は「空と縁起」のことを考えていた。

【アメ限解除】初掲載2013/2/25
いわゆるアンチエイジングの気功技術「ミレニアム」の遠隔気功ライブのフィードバックです。いわゆるというのは、それだけではない効果が現れるからだ。
ミレニアムに入っているアルゴリズムはあなたのIQも抽象度も上げるプログラミングがされている。
そろそろ、IQが上がった感覚を疑似体験して欲しい。まだ読まれていない方にオススメです。
アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス文庫)/早川書房

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この方の一番おっしゃりたい事は、一番はじめにさりげなく書いてあるように思います。
(引用開始)
こんばんは
昨晩はありがとうございました。
フィードバックがすっかり遅くなってしまいました。
色々経験しすぎて昨日のことなのに、遥か昔のような感じが致します。
liveがはじまる前動画を見て予習をしていて,live前なのにスカとした気分を感じていました。
liveはじまりより、ふわふわとした感じと、暖かさを感じはじめました。
30分をすぎた頃からどんどん睡魔がおそってきてました。
45分からはお腹がどんどん熱くなってきました。
終わったときは、なかなかの夢見心地でした。
貴重な経験ありがとうございます。またよろしくお願いします。
(引用終了)

ライブは申し込もうと決めた瞬間から始まっていますよね。いや、その前からすでに始まっていたのです。
それから、「昨日のことなのに、遥か昔のような感じが致します。」という表現もさることながら、じつはその前のフレーズ「色々経験しすぎて」という部分にぼくはこの方の無意識が訴えている何かが凝縮しているように感じます。
ちょっとした「違和感」のような感覚ではないでしょうか?
別の人に生まれ変わったような感覚でしょうか?(まさにそうなのですが)
時間感覚が違いますよね。それも、スーッと横にズレたとか、トンと跳んだイメージ。
プランク時間ごとに変わる世界、それらを跳躍していく生命としての私、しかし時間の非連続性をも俯瞰する抽象度を持ったときに、その断続的な感覚がRゆらぎとしてえもいえぬ曖昧な「違和感」として意識にあがります。
時間感覚が変わるのは、私たちの脳のなかでパラダイムが変わるからです。抽象度が上がるとか、新たなゲシュタルトが出来るといってもよいと思います。
それは、ニュートンの採用した神が作った絶対時間、絶対空間のという世界の概念ではなくて、アインシュタインの「時空間は歪んでいる」という概念であり結論です。認知科学でいう一人一宇宙だと言えます。

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万物は流転していることに気がついても、「私」が変化していることに気がついていないことがほとんどの方だと思います。
コーチング用語を使えば「自我」だけが「万物」の中で唯一スコトーマになってしまうのです。
だから、「諸行無常」とセットで「諸法無我」なのです。
万物に自我ももちろん包摂されると同時に、自我等なく自我もまた変化そのものであるということ。
もう一つ抽象度を上げれば、(ややこしいかもしれませんが)自我だけではなく、万物に「我」などないということですね。
常に変化している世界そのものは分ける事もできず、そこにまず関係性が生じることによって「諸行」も「諸法」も生まれる、つまり宇宙が生まれるわけです。
その空と縁起を説明原理として、釈迦がたどり着いたのが「無分別智」です。つまり、もともと関係性から生じているこの世界に、明確な境界線等どこを探してもないのです。
世界は分けることなど到底出来ないですし、分けるものその物(「我」)などはじめから存在しないのです。
つまり、だからこそ世界(も自分も)抽象度を上げて、ありのままを観ることがスタートなのだと気がつきました。
この記事もまさに、フィードバックをしてくださった方がいて、僕とブログとこの方と読者のあなたとの関係性があるので、生じたのです。
時間は幻想です。(アインシュタイン博士ですね。)
この一瞬に永遠を感じて下さい!
そして、永遠など一瞬に過ぎないことを噛み締めましょう!
伝わりましたか?
まさ^^/

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【アメ限解除】僕が南極について話している時、彼女は「空と縁起」のことを考えていた。” に対して1件のコメントがあります。

  1. マリエ より:

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    文体がクレバーで洒落ていて臨場感に酔いしれます。
    涙無しでは読めません。
    余談ですが、理解されない悲しき天才「ソクラテスの弁明」も涙無しでは読めません。

  2. SECRET: 0
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    >マリエさん
    いつもコメントありがとうございます。
    ソクラテスの『死ぬのと生きるのとどちらが幸せか分からないのに、分からない事を恐れるのはまさに知らない事を知っていると勘違いしていることで「無知の知」である』とし、結局自ら毒杯を仰ぐ事を選んだのは見事ですね。
    圧倒的な抽象度ですよね。
    私の母も「生死」については、「いつ死んでもいい。」どんな時でも、ソクラテスと同じ様な(多少?違いますが)事を、平気な顔で同じ様に言う人でした。(まだピンピンしていますので「、、、、人です。」ですね。)
    あまり論理的ではなくて直観というかブリーフシステムがそうみたいです。
    だから、「毎日したいことをする!」と自分でビジネスを始めて寝食を忘れて、熱中してやっていましたし、好きなお友達とヒマがあれば1泊でも2泊でも温泉などに遊びに行っていました。(子供が大きくなってからですが、、、)
    心臓がおかしくなって、脈拍が200位で戻らずに失敗したら死ぬかもしれないという手術前にも平然と「死んだら死んだで眠るだけだから全然怖くない。」と余裕で言い放った時は「凄いなこの人!」と思いました。
    話しがズレました。「無知の知」とはズレています。^^;しかし、僕も(往生際は自信がないですが)生き方としては、そう生きたいと思っています。
    ありがとうございます。

  3. マリエ より:

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    >札幌の遠隔気功まさワークス高田大さん
    お見事なお母様で!

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