「30円のチャーハン」とその価値について
「ものごとを分かっている人」は、「安物」を買わない。
「うまい話し」などないと分かっているからだ。
単に安いものという意味ではない。ブランド品を買えという話しでもない。
人は、必要で十分なものを買うという単純な話しなのであるが、、、。
この類いの話しは、自分が消費者としての立場で読むと読みやすいし理解がしやすい。
高いから売れないのではない。
値下げをした一瞬は売れるが、「それなり」の金額が付かないと、ものは売れない。
商品の値段とは、生産者、販売者が自分で付けた価値である。
いや、在庫が商品に変わる時に、(購入者が価値を見いだす瞬間に)まさに価値が生まれるのだ。
「30円のチャーハン」など、売れない。
いや、「300円のチャーハン」も売れない。
もちろん、「えさ」としては認識されるだろう。
腹が減って、食べるものもお金もない人は集まってくる。
果たして現在の日本にそんな人がいるのか?
まあ、いるにはいるのだが、薄利は保証出来ても多売には莫大なコストがかかる。
売れても、価値がないと見なされると大切に扱わない。
書店でおまけとして付いている「大安売り」の
人気ブランドバックはズタ袋のように扱われ、やがてブランドごと堕ちて行く。
人、モノ、金、情報に価値があると言われる時代は終わった。といわれている。
確かにその通りなのだ。
人、つまり労働そのものにも、価値などない。
純粋に労働に価値があるのならら、大企業は近年解雇した何万人もの従業員を再雇用し直せばよい。
「労働はコストでしかない。」
うっかり、話して何人もの知人を怒らせてしまったフレーズだ。
「価値を生み出す仕事」と、その価値を「販売する時に必要な労働」とは分けられなければならない。
価値を生み出す事に成功した後に、「何とかの手でも借りたい」状況で、「仕方なく」コストをかけて買うのが労働(者)である。
ちなみに、『少数精鋭』とは結果のお話しであり、僕流の解釈では『少数であれば精鋭を揃えなければ意味がない』ということなのである。
人間でしか出来ない部分など、ほとんどなくなってきている。
機械でしか出来ないことが、増えているだけだ。
しかも、使えるのに、文句も言わずに暗闇でも24時間働いてくれて、合法的に減価償却までできる。(言い過ぎかな?^^;)
情報には価値がない、情報は溢れ返っている。モノも、金も溢れ返っている。
Googleで何でも調べる事は可能である。
この話しを表面づらだけ聞いて、何でも値下げをするのは早計だと思う。
値下げをすると、クライアントが増えるような気がするが、それは幻想で、実際はほんの一瞬なのだ。
値下げしたプライスタグに非言語でプリントされているのは、
「この商品には価値がありません。」
「この売り手には価値がありません。」
そして、勘の良いお客さんには、経営者の苦悩と悲鳴までちゃんと聞こえている、、、。
システム化が出来ていて、初めて成り立つのが値下げである。
(これも、結果論であるし、善悪や正しいかどうかという話しではない。)
そこには、どうしょうもなく腹が減っているか、ヒマな「だけ」のクライアントが群がる。
「興味があります!」ってだけの無邪気なバカを集めても、疲れるだけだ。
クライアントの未来を変える覚悟があるならば、
クライアントに全力で価値を伝えて行くことである。
真剣な場にしたいなら、真剣なクライアントを集めることだし、なんちゃってランドを作りたいならそうすればよい。
(ディズニーランドも需要がある。別に、悪い事ではない。)
あなたのプライスタグには、何とプリントされているだろうか?
実際のプライスタグは、あなたの頭のなかの情報空間の写像である。
では、何が価値と認識されるのだろうか。
本当の価値とは何であろうか?
クライアントの本当の価値とは何であろうか?
恒常的に価値を生み出して行く能力とは、マーケットという情報空間にゆらぎを与えることが必要であると理解することである。
混沌に秩序を見いだす為には、俯瞰する、未来を見据える目が必要不可欠である。
重ねて言うが、金額が高ければよいというつもりもないし、安ければいけないということではない。
あなたが生み出した価値、渡そうとしている価値を、真剣に考えて金額をつけることである。
コストに見合った分を、クライアントは回収する。
クライアントが欲しいのは商品やサービスではなくて理想の世界を手に入れたいのだ。
(人0)まさ
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