気功技術は自分で作れますか?作るべきですか?

気功技術は誰にでも作れます。
簡単ですかと聞かれると、簡単でもあり、難しくもあります。
例えば、英語は誰でも話せますか?とか、コンピュータープログラミングは誰でも作れますか?という質問を皆さんがどう答えようかと考えるときと同じです。
僕は、学生時代に自分のほうが成績がよかった兄弟が就職して、コンピューターのプログラマーになって某大手予備校の為の何かの(忘れましたが)プログラミングをしているのをみて、すごいと思いました。でも本人は簡単だよ。仕事になれば出来るよ誰でも、って、、、。
英語なんて全然出来なかったのにプログラミングって全部英語ですよね。しかも、数学だって全然出来なかったのに(失礼^^;;)プログラミング言語ってとてもロジカルで数学的に見えますよね?
気功技術を作れるようになることは何も意味がないです。(その人の夢が気功技術を作れる人になるという不思議な夢であればそれでいいと思います。)そのために、苦労することにも意味はありません。本人が意味を見出さない限り。
僕は、気功技術は先ほどのプログラミングや火をつけるときに使うチャッカマンのようなものだと思っています。だから、気功技術は自分でつくれという人がいますが、、、火ぐらい自分でおこせ!って言われても、マッチやチャッカマンがあるのにねえ、、、。チャッカマンをつくって生活している人がいるのですから、それが分業でしょう?
まあ、何でもいいのですが、、、言っちゃえば「朝ごはんぐらい自分で作れ」「自分の洋服ぐらい自分で作れ」になっちゃいますよね。
だから気功技術も別に買えるなら、バンバン買えばいいと思います。1個買うのも100個買うのも本人の自由です。売るのもです。
Why not?です。
僕は、気功技術を売買のは、勿論ありだと思います。
情報時代の情報交換です。
気功技術をあるときは盛大に無償配布もしていますし、ぽんぽんと売っていきます。
価値を見出した者同士が大いに技術と貨幣を交換していけばよいと思います。
抽象度を上げれば(価値という情報)の交換です。
すべてはゴールありきです。ゴールとはしたいことです。したいことをしてください。
誰かに何かを言われても、あ、そう。で済ませればよいことです。
他人(ひと)は他人(ひと)です。
ゴール不在の話は文字通り不毛です。
ひたすら自分のゴールを見つめて下さい。
まさ

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