まささんがライブだとおっしゃる意味がわかりました。

(引用開始)
まささま
きのうは遠隔セッションありがとうございました。
まささんがライブだとおっしゃる意味がわかりました。
はああーすーごい気持ちよかったー!! というのが率直な感想です。
カイトビューティークレードルというのは、すごく文学的で哲学的で、自分を育ててくれる技術なんだなと思いました。
しっかり脱力して、儀式的に、かつ自由なやり方で、イメージを広げて、が大切ですね。
また自然にそうなるように導いてくれます。
きのうの夜はあたたかで繊細な蚕の中にくるまって眠る感じだったけれど、
さっき立って使ってみたら、わりと重たい、蜜のような糸が自分の身体を通って手から出てくる感じでした。
顎がきゅっとして、あきらかに小顔になっています。
美しく聡明な顔、になっています。
目つきが違います。これは、最近もよく登場する、人体模型と一緒に写っていて、青い服を着てこちらを向いているまささんの目つきのような
今と遠い未来を一瞬で自分に取り込んでいるような目つきです。
肌はつるっつるです。ウエストもしまっています。
精神面では、セッションを受ける前にすでに、ほんとうにいろいろ変化が出てきています。
これからどんどん出てくるんだろうとも思います。
・こどもを見ている、と今まで自分が思っていた行為は、こどもを管理しようとしているということだった、と気づいた。
・こどもと夫にいつでも笑顔で接することができるだろうという自信が生まれた。
・わたしの存在は、わたしは存在しているんだもの、それはすごい、わたしはすごいなー、と納得した。
言葉を気軽に使えるようになったし、自分の中で、言葉で会話する方法を得ることができた。
自分の発した言葉の意味や雰囲気が、相手に伝わること自体が怖かったのだと思います。言葉がすべてを決めてしまう、
言葉という機能によって自分が変えられてしまうのではないかと思っていたのかもしれません。
でも言葉を発すること自体は大したことない、誤解されようと恨まれようと、別にわたしがわたしであることに変わりはない、
「なんかよくわからんけど大丈夫大丈夫ー」と自分に心の中で声をかけたりしています。ノリツッコミとかもがんがんしています。
こどもが遊んでいるときに声をかけても、こどもが返事をしないときは、「まあこの子は今大丈夫なんやろ」と心の中で
自分に言っています。この子は今大丈夫(何が大丈夫なのかよくわかりませんが)なのか、と確かめたい気持ちから、
この子を管理しようとしていたのだと思いました。これはショックでした。こどもへの接し方は、これからすごく変わっていく予感がします。
・家事は、結局好きになるしかない、心から好きになるしかないんだろう、と思うと同時に
「片付けたい」欲がいつも備わっているような感覚にいつのまにかなっていました。
実際、上の空でいろいろできています。しかもその上の空でぼんやり夢想していることの内容が豊かになっています。
自由で、とても気楽にイメージしています。
家事は、何をすべきでないか、がポイントかなと思いました。こどもとの暮らしも、いかに大人の手を加えないか、がポイントかなとふと思いました。
・考え事をするとき、すごく大きく目を見開いて考えるようになりました。夢想するときの目つきはまた違います。
まだまだあります。もっと出てきます。
セッションの前からすごい脱力できていて、ふらっふらの状態で受けました。おしりがむずむずしたり、へらへらした顔だったり。
でもこどもも夫もわいわいやっていて、落ち着かなくて、そわそわ歩きながら用事をいろいろしていました。
もうすぐこどもの誕生日なんですが、陣痛が来るかも、という日の夜も、
こんなふうにそわそわ歩いて用事をしていたし、今日みたいに雨が降っていたなー、と思い出しました。
ちなみに、こどもが3歳になる頃にはこのアトピーは回復しているはず、すごくきれいなお母さんになっているはず、
と念じていました(こどもはもうすぐ4歳です)。
始まる直前におなかがシクシク痛くなって、船酔いみたいな気持ち悪さが少し。
23:00、下丹田あたりに熱いものがガン、と入って、おなかを中心として熱くなる。
腕の中を血や気がびゅんびゅん動いている感覚がある。これが糸でもあるんだ、と思う。
23:10頃、背骨がムズムズ。自分の身体がどんどん重くなって熱い。脚にもびゅんびゅん血と気が流れ出した。手足の先が丸まっていく感覚。
23:20頃、ふと、押し入れにかけている赤い布が目について、外から入る風にふわり、と揺れたり風をはらんで止まったり、
という風景にすごく惹き付けられました。一瞬止まる感じがすごくおもしろくて、不思議でした。
喉に何か入った感じ、少しふるえる。
もう少し起きていた気がするんですが、寝落ちしたようです。
セッションが終わって1時間後くらいに目がさめて、糸にぐるぐるくるまれて眠りました。
まだ気の玉ができている感覚はあまりないですが、いろいろ試してみようと思います。
夜はおなかがすいていた方が冴える、すごくいい状態になる。というのもトリガーになりそうです。
わたしの場合トリガーが強迫にならないように、軽い感じでいきます。
ありがとうございました。参加してほんとうによかったです。
(引用終了)
「言葉を発すること自体は大したことない、誤解されようと恨まれようと、別にわたしがわたしであることに変わりはない」この気づきは大きいと思います。
これが、エフィカシー、ハイエフィカシーです。
自分の現在、過去、未来なにも関係がありません。ハイエフィカシーはハイエフィカシーです。自信とは違います。定義上。
これをもてるのは素晴らしいです。
お子さんは、返事をしないのは聞こえていないからです。
テレビを観ているときは聞こえていません。でも、私は親で親の方が子供よりも偉いんだという目線で話すのはまずいですよね。子供がいるから親がいるのも50:50の関係性です。
もちろん、ご飯は親のお陰で食べさせて貰っているという議論はありますが、勝手に産んでおいてそれもないんじゃない?ということですよね。まあ、生殺与奪権があるのは親なので従いますが、、、。
ルールはルールで決めるのは親で別に構いません。もちろん、子供の完全な自由ではないです。そして、そのルールはやはり親であるあなたが決めるべきです。何を背後に走る思惑、アルゴリズムにするのかが大切です。
間違いは誰にもあります。ありますが、子供を恐怖で支配するのはよいわけはありません。直接暴力をふるわなくても数倍もある動物(親)に言われる事は基本的には力づくに聞こえます。そこを意識に上げるべきです。
我が子という、意味を、自分の好きに出来ると考えるのならば、人様のお子さんを預かっているとでも思う事です。家族じゃないという意味じゃなくてです。なので、よそよそしくしなさいとか、腫れ物に触る様に扱うという意味ではありません。抽象度を上げて見るということです。
子供の躾は、何百回何千回と根気よくです。というか、最後迄親の背中をみて、そしてやるやらないはその子が決めます。そのように、話した方がやるようです。
子供は、教えた通りじゃなくて結局、親のやる通りにするというのは、よく言われますが、僕は4人兄弟姉妹なのですが、同じ躾で同じ親を見て育って、全員バラバラで違う事をします。当たりまえですけど。でも、悪い事ばかり真似をされて後で気まずいのは自分ですので、子供の前では出来うるだけ完璧な(?)大人、親を演じましょう。演じきりましょう。
「家事は、何をすべきでないか、がポイントかな」これは、よい気づきだと思いますね。すべき事はして、他はしない。(笑)あとは、やりたいことをやることです。
本当に素晴らしいフィードバックで本当は言う事がないくらいですが、、、。
アトピーは、怒らない。諭す時は諭す。過度のストレスは良くないので、、、。とくに、胃腸によくないのです。
まさ^^/
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