以前明確に持っていたはずの比較的遠いゴールがゆらいでカオスに溶けて捉えられなくなってしまった感じ

ありがとうございます。
素晴らしいフィードバックです。
カイトの糸を引っ張る方向はSystem1に任せて下さい。(半分以上は)
n+xのフィールドでの臨場感は「儚い感覚」を「想像」するくらいのイメージです。(僕ももどかしい感じの説明ですが、他の記事でも説明してきたことと合わせて解釈して下さいね。)
釣りの時のような手応えを脱力しながら感じて揺らして下さい。
いっそランダムに揺らがして、現在のn次元の幻灯機や部屋ごと揺らすイメージです。(影絵の幻灯機のイメージですね。)
上手になれば感覚は感じられるはずです。感覚は個人的なものなので、僕が作ったとはいえみんなのフィードバックも平等に解釈をしてLUBをとっていく感じがよいと思います。そのためにトリセツは(長いと噂ですが、、、)短くしています。
如何せん、気功技術はすべからく慣れることが必要です。
(引用開始)
木曜セッションはその日の日中に忙しかったこともあり、遠隔開始直前ぐらいからまるまる寝落ちしていました。
金曜は一日中ぐったりとして仕事があまり手につかず、土曜はほとんど寝込んでいました。
土曜の夜にバファリンを飲んで、今日はだいたい回復しています。
どこまでが好転反応かわかりませんが、金曜のは他に原因が無いので間違いないと思っています。
顔は頬のあたりの輪郭がスッとしてシュッして首が伸びた感じがあります。
手のひら手の甲がプルンとして輝いている感じがあります。
蝶形骨を「ふわっ」と感じ、その周辺がセンターに沿って浮いている感触があります。
「気功技術がカイトの糸に染み込ませてある」という話を読んで、凧よりも、糸のほうをリアルに感じてみながら、押したり弾いたりしてみました。
ミレニアムのみずみずしい感じなどを再現した気になれました。
それから、縁起の糸の間の弾力に臨場感が増しています。
手の届く範囲の糸を一つ選んで横からぐっと押すと、遠くのほうで多くの凧が揺れながらずれてゆくその動きが糸を通じて弾力の反応として感じられます。
願わくば、糸押しと機能直結のフィードバックとの関連をもっともっとハッキリと捕まえたいです。
比較的簡単なゴールを立てては即座に叶えることができるようになってきているようなのですが、
それに合わせて、以前明確に持っていたはずの比較的遠いゴールがゆらいでカオスに溶けて捉えられなくなってしまった感じがあり、不安です。
だいたいこちらの方向?というカンにしたがってカイト世界の糸をタグって探す作業をイメージできる気がするので、今やってみています。
(引用終了)

フィードバックを読ませて頂いた限りでは、「カイト」は上手にできているように観えます。
曖昧さはRゆらぎに常に必須です。
ハッキリ「わかった!」と思う方が、ちょっと違うかなというくらいのものです。
ゴールも同じですね。
不安はつきものですし、不安を抑えるよりも不安なんだなとしっかりと観ることです。情動が消えても消えた様にみえないのは、論理(理性)が情動を発火させ続けているのです。
そして、その原因を適当でいいので、ポンポンといくつか挙げてみるのです。
こういうことは、頭で分かった時でも実際に自分が「不安だ」と思ったときになかなか思いつかないものですが、利用しましょう。
止観です。俯瞰です。抽象度をちょっとあげることです。実際に不安は物理ではないですし正体がありません。前頭前野をはたらかせて、今すべき事をしていくのです。
今迄あったゴールがないと不安というのは、ホメオスタシスですね。僕はわざわざゴールを消す事をしています。なので、その「不安」という感覚は共有します。
あまりに自由度があるときに、不安定さも感じます。敷かれたレールは気持ちがよいです。(考えなくていいので楽ですし、、、。)
抽象度があがってコンフォートゾーンから出るときは、ホメオスタシスは発火するのです。僕はそのときに、今迄上ってきた梯子を蹴ります。それも自分でね。
僕は、最近はどちらを選んでもよいと思っています。それこそ、個人の自由です。僕のおせっかいで、気功(?)の道へ入りなさいなどとは言っても仕方ないことです。「お前は、それでいいだろうが、私はそう思わない。」と言われるのがオチです。
ゴールなど要りません。自分でどうしてもやりたい、社会的な(別に社会的である必要もないのですが)機能を果たすことは、実は何をしていても出来る事です。
具体的に今僕たちがしていること、しているように見える現実は写像にすぎませんし、僕たちは脳という暗くて小さな入れ物の中にフワフワと浮いていて、外部の様子を伺うためのカメラ(目)やマイク(耳)やセンサー(体)やアーム(手足)を操縦しながら、取り込んだ膨大なシグナルのなかで自分の好きな見たいものだけ、感じたい事を感じたい様に疑似体験をしているのだけなのです。
人類は650-700万年間の歴史がありますが、そのほとんどの期間を予めプログラムされたように、エネルギーを代謝して繁殖をしながら、いわばカブトムシと同じ様に無意識でただ生きてきたのです。
今、僕たちは自分で自分のゴールを決める事ができるという自由が与えられているのです。(もちろん、21世紀とはいえ日本以外の国で(いやこの国の中でも)そんなこともままならない環境で生きている人の方が多いのだと思います、、、。
何れにしても、残された生命時間を長くても短くても自分のいる環境で出来うる限りのことをして生きるだけです。生命の価値など、絶対的な時間の長さではありません。価値というパラメーター自体、定義するのが難しいことですが、、、。
僕の抽象度で、あらゆる読者の誤解を恐れずに、この文脈で言うならば「自ら決めた役割と機能を果たす」ということです。・
閑話休題。カイトの説明にもどします。
ちょっとプレイバックします。
曖昧さは「Rゆらぎ」に常に必須です。
ハッキリ「わかった!」と思う方が、ちょっと違うかなというくらいのものです。
パラメータも、次元の数というのか種類も錯綜しているという理解です。
想像、イメージを膨らませるのはいいと思います。
学習脳のクリティカルエイジの様に(雑な説明ですが)閉じてしまわない、パラダイムを固定させてしまわないことです。
「大いなる勘違い」と「無知の知」を両天秤で両方走らせて下さい。
その上の抽象度に常にLUBをとって上がって行くイメージです。
まとまらないので、強制終了いたします。
フィードバックに感謝いたします。
まさ^^/

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