『ファイヤーボール』感覚を大切にしたいと思います。

過去記事の続編です。(see過去記事「『ファイヤーボール』成長期を早回しで体感したような喜びで!」
ファイヤーボールの永久版伝授をしました。^^
別にひがみでもなく、傲慢でもなく気功は分かる人にしかわからないのです。
認知科学で説明すれば、人は自分が重要だと思うものしか認識できません。我々は、空気の中にいながらにして、空気の存在など殆んど気にしていないのと同じです。
つまり、見たいものしか見えないし、感じたいものしか感じていません。肌に空気が触れている感覚や、背骨や肋骨を支柱として、筋肉や内臓や脂肪がぶら下がり垂れ下がっている感覚を感じていません。頭がどれほど重いのかを感じていないのです。脱力できていないからです。リラックスできていないからです。それが分かれば腰痛や首痛はなおります
ましてや、ファイヤーボールが感じられない方もたくさんいるのは当たり前です。
しかし、突然に見える瞬間があります。その大前提にはゴール設定があります。本人の本当にしたいゴールが見つかったときに、そしてそのために何らかの必要性、重要度を無意識が気功というものに感じた時に、それは突然現れます。
星の王子様を引き合いにだして、気功を持ち上げて「本当に大事なものは目に見えない。」というつもりもないのですが(十分出していますが笑)、情報は物理を書き換えますし、物理は情報の写像に過ぎないのです。
僕達は、脳の中にある情報を書き換えることが可能だし、それを言葉ではなく共感覚という感覚器とその上方抽象度に位置する超情報場というフィールドで意図的にプログラムをインストールすることが可能なのです。
ファイヤーボールというのは、この書換え技術の中ではそれほど抽象度が高いわけではありませんが、十分に相手を書き換えたり自分を書き換えたりするポテンシャルはあります。
そして、働きかけた結果は全抽象度に影響します。
(引用開始)
まさ先生、ブログ読みました!
永久版、ありがとうございます!感激です(≧∇≦)
舞い上がってしまって、体感に集中できず、ちょっと落ち着いてから、じっくり取り組みたいと思います。
先ほどのフィードバックに書きそびれましたが、今朝、起き抜けにトリガーを組んで…うん、実体なくても雰囲気は…♪
と、寝ぼけ眼をぱちぱちしましたら、手や腕の形が緑色の陰になり、とても良く見えました♪
視覚化かな?今までになく良く見えるな!とちょっと喜びながらも、目を閉じた暗闇のときに見えてるっていう現実に気づきました。
そのうち活用方法がみつかるかな…と思います。
大周天も、今までちゃんとできた!という自信がなかったので、見えなかった暗闇をパッと照らしていただきありがとうございます!
感覚を大切にしたいと思います。
ありがとうございます。
メールのブログへの掲載、大丈夫です。(前回メールでは書き忘れてしまいました。スイマセン)
今後ともよろしくお願いいたします^^
(引用終了)

視覚化ですね。
視覚化とは、気が見えるということは現代科学のパラダイムで説明すれば、明らかに視覚エラーです。
もちろん、気などという実体は存在しません。
僕の説明は、気が見えるということは、ヒーラー自身の臨場感を自分で視覚野を使って表現している或いは、意識に上げているという説明をしています。
僕は薄暗くしてシャワーを浴びます。
(つまり、真っ暗です。脱衣所も電気はつけません。たまに、家族に、シャワーの温度を下げられます。誰もいないと思って、、、というのですが、シャワーの音は聞こえてないのですね、、、。これも、認知科学で説明できます。シャワーの音がスコトーマ=盲点に入っていて聞こえないのです。冬はマジでキツイデス。)
視覚ではない感覚を意識に上げます。掌の間にしろいもやもやが見える!と思います。すると見えます。
見えなくても、別に気にしませんが、薄明かりのなかでジーッとみてるとそんな気がしてきます。残像とかそんな関係で、手の周りがしろいような気がするのです。
すかさず、「オーラが見えた!」と思い込みます。そんなものです。だんだんと、自分で気を出してそれを見ることが出来るようになります。
個人差は大きいと思います。
僕が思うには、気は見えなくてもいいと思います。ただ、見えると雰囲気がでます。そして、同じように、気は感じられなくても大丈夫です。ヒーリングも可能です。
しかし、感じられないときは、悔しくて仕方がなかったです。
仲間のヒーラーが、気功を掛け合って「おー、すごいすごい!」と言っているのをきいて、「本当かよ!」と突っ込みを心の中で入れていました。信じていないのじゃなくて、なんかもう自分が感じられないので取り残されてる感じがしていました。
まあ、諦めていましたけど。でも7月に、突然感じるようになりました。
その時の感覚を忘れないように、このブログで伝えます。(お兄さんラッキー!お姉さんラッキー!)
脱力出来ていなかったんだー!です。
つくづく、脱力の深さには死ぬほど段階があるんだなーと思います。そして、変性意識の深さにもです。
全てが、深い脱力です。深いリラックスです。
ここがポイントです。
まさ
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