体を緩めること。まだ、緩められること。

体をゆるめないと”気”は感じられない。
気感が無いんですけど、、、。という言葉を何度も聞いてきた。
それは、クライアントさんや読者のあなたの切実な思いだったのだろう。
僕は、自分で気が感じられると思ってました。
しかし、一昨日僕の気功の先生に触れれた瞬間にそれが、まさに”大きな勘違い”であったことに気がついた。(大いなる勘違いではなく、ただの大きな勘違いであった)
悟りなどというつもりなどは無い。
ただ、自分自身の勘違いだったことに気がついたのだ。
抽象度の階段、、、などと偉そうにいうつもりも無い。(偉そうに書いているのだが、、、)しかし、確かに何かの階段をひとつ上がらせて貰えたと思っている。
(この記事は、たまに僕が書く独り言のような文体になっている。人にはたくさんの自我が無数に存在している。
自我がひとつしかないなどということは幻想に過ぎない。僕たちは心(脳)の中で常に独り言やら話し合いやら、押し問答をしている。
唯一無二と思っていた自我と違う自我の声の臨場感が増したとき、急に”聞こえてはならぬ声”を聞いたと思って驚く。いわゆる精神的な疾患だと思い込んでいる方々も、大多数が実は病気などではないという専門家もいる。僕は専門家ではないが、、、。
厄介や症状には違いないが、幻想や幻覚はそれが物理的なものか情報的なものかという区別をつけられれば問題はない。抽象度が上がれば、上がるほど操作が可能になる。)
知識はあなたを助けてくれる。しかし、知識だけではだめなのだ。
やはり身体的な臨場感は大切である。
いまだかつて無いレベルに緩められた体で感じる”気感”は格別だ。
ああ、”気”を感じるって、これだったんだ。今まで得意げにあなたに語ってきたことも僕にとっての真実ではあったが、今となってはどうでもいい。
今、僕は本当に嬉しさにしびれています。
抽象度の階段を上がる瞬間のうれしさの為に僕たちは生きているのかもしれない。

僕は、まだ東京にいます。
今回の旅の目的は、今の自分を殺すことでした。殺すというと仰々しいですが、新しい自分に生まれ変わるためには、従来のフレームを壊すということです。
当初の僕には全く見ることもできなかったし、予想だに出来なかったことが起こっています。そのひとつが体を緩めるということです。
今となっては、僕は本当に暗い暗い闇の中を進んでいたようだ。
しかしそれでも、能天気にサクサクとブログを更新してうまく進んでいると思っていた。
かなり可笑しくて笑ってしまうが、考え直すとやはりうまく進んでいたという解釈も出来る。
それぞれの人生だ。
さて、あなたと一緒に次の階段を上っていくとしましょう。
まさ^^/

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体を緩めること。まだ、緩められること。” に対して1件のコメントがあります。

  1. ヨルカ より:

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    ブログの内容。。まささんの気ずきの臨場感が伝わってきます。。
    私にとっても身体を緩めることは永遠の課題なのかもしれません。私達の身体はあっという間に力んでしまう。。
    最近出逢った方に、「本当に自分は自分自身の身体を使っているという自覚があるか?」という事を再認識させてもらいました。私たちはあまりにも身体を物と同じように使ってはいないだろうか?
    という事。カラダを感じているか?という事だと思います。
    身体表現、生き方そのものを考えなおしてみたいと思います。

  2. SECRET: 0
    PASS:
    >ヨルカさん
    プロのダンサーであるヨルカさんからの言葉は重みがあります。特に今の僕にとっては。('-^*)/
    (*^ー^)ノ好きなことをすること。
    ここが重要だと思います。
    僕のもう一人の師から先日もらったメッセージはこの一点だと思うのです。

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