「助けて!」

中3の娘の受験が終わって帰って参りました。^o^
本人が一番行きたい高校の受験が今日でした。

「分からない問題に当たった時は、自分の心に『助けて!』と聞くと不思議と答えが出てくるんだよ。本当だよ。」「なんかね。『はいはい^o^』って感じで(笑)」

今日、高校受験を終えた娘が実践している方法を教えてくれました。
今日の本番でも、この「助けて!」を使ったそうです。そして答えが返ってきたそうです。
!(◎_◎;)
テレビの速報の合格ラインより自己採点は越えている様でした。
(引用開始)
お前たちが大きくなって、一人前の人間に育ち上った時、――その時までお前たちのパパは生きているかいないか、それは分らない事だが――父の書き残したものを繰拡くりひろげて見る機会があるだろうと思う。

その時この小さな書き物もお前たちの眼の前に現われ出るだろう。

時はどんどん移って行く。

お前たちの父なる私がその時お前たちにどううつるか、それは想像も出来ない事だ。

恐らく私が今ここで、過ぎ去ろうとする時代をわらあわれんでいるように、お前たちも私の古臭い心持を嗤い憐れむのかも知れない。

私はお前たちのめにそうあらんことを祈っている。

お前たちは遠慮なく私を踏台にして、高い遠い所に私を乗り越えて進まなければ間違っているのだ。

然しながらお前たちをどんなに深く愛したものがこの世にいるか、或はいたかという事実は、永久にお前たちに必要なものだと私は思うのだ。

お前たちがこの書き物を読んで、私の思想の未熟で頑固がんこなのを嗤う間にも、私たちの愛はお前たちを暖め、慰め、励まし、人生の可能性をお前たちの心に味覚させずにおかないと私は思っている。

だからこの書き物を私はお前たちにあてて書く。



(中略)


深夜の沈黙は私を厳粛にする。

私の前には机を隔ててお前たちの母上が坐っているようにさえ思う。

その母上の愛は遺書にあるようにお前たちを護らずにはいないだろう。

よく眠れ。

不可思議な時というものの作用にお前たちを打任してよく眠れ。

そうして明日は昨日よりも大きく賢くなって、寝床の中から跳り出して来い。

私は私の役目をなし遂げる事に全力を尽すだろう。

私の一生が如何いかに失敗であろうとも、又私が如何なる誘惑に打負けようとも、お前たちは私の足跡に不純な何物をも見出し得ないだけの事はする。

きっとする。

お前たちは私の斃れた所から新しく歩み出さねばならないのだ。

然しどちらの方向にどう歩まねばならぬかは、かすかながらにもお前達は私の足跡から探し出す事が出来るだろう。


 小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。

前途は遠い。そして暗い。
然し恐れてはならぬ。

恐れない者の前に道は開ける。

 行け。勇んで。小さき者よ。
{163C8665-DE96-400F-8933-7DB28BE729BB:01}
(引用終了)
僕の好きな有島武郎「小さき者へ」の最後のくだりです。子供達にも「読み聞かせ」たいと思っています。
強烈なベーシックトラストは親から、そしてやがて自分自身で構築出来得ます。(それが、最近のまさワークスのブームである【 u 】の一端です。)
閑話休題
俗に言う「困った時の神だのみ」にも似た「助けて!」というマントラwは、ある意味でバイタルな状況(本人にとって)で無意識にアクセスするトリガーであり、コマンドですね。いわゆる聖典などに散らばっている(まさワークスは宗教は否定する立場ですが)本質的な教えから抽象度を降ろした言わばサブクラス的な表現と考えられます。
彼女の言い分は「神様に頼んでいるのではなく、自分の心に頼んでいる」という事です。
さすがに、「全知全能の神(アプリオリ)は存在しない」という理屈はしっかりと入っているのでしょう。
彼女の書き換え能力は当然の様に弟のS君の遥か上をいってます。小学生の頃から受け持たれた担任の先生方には「考え方は、完全に大人です(;^_^A」と言われ、生徒会では副会長。クラスでは学級代表。
合唱となれば指揮者です。
ピアノも弾けるので伴奏もするのですが、弾ける人は別に上手い子もいるのでと、小学校の時から先生に指揮者に推されます。そして、毎回いちいちそのパフォーマンスは先生や皆から絶賛されるそうです。(母であるパートナー談)
親バカですね。(たまにはね)
再度閑話休題!戻ります。
なので、分からない事を「助けて!」という娘の方法は、感覚としては「人事を尽くして天命を待つ」の方が近いと思います。
300点満点で250点というのが自己採点らしいので、ある程度はしっかり自分で勉強している上でしょう。何もしてないのに降りてくる様なものではないという事です。
だからもちろん、神と言っても一神教や絶対神はもちろん、いわゆる一般的に言う「神」とはちょっと違いますね。どちらかといえば「システム」とか「無意識にアクセスする方法」の方が近いと思ってください。
それでいいと思います。
言葉とは論理であり、そして言葉とは神であるというlogosは徐々に学べば良いと思います。
彼女にはもちろん【 u 】のパラダイムは伝授しています。
まさ^o^

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