「風景伝授」とはパラダイムの書き換えである。

人間は絶対値ではなく、差分(変化率)でしか認識できない。(ノーベル賞のカーネマンによれば)

脳はまず直観(カーネマンの言うシステム1)で認知エラーを起こし、それに邪魔されて結局推論(システム2)でも検閲をすることが出来ない。

結果として推論(ロジック)が認知エラーの強化をしてしまう。

だから、システム1でかかりやすいバイアスをあらかじめ知っておくことは重要。

錯視などでシステム1を書き換えることは不可能。なぜならシステム1は脳にインストール済みのパラダイムそのものだから。

だから(今は図もなくて恐縮だが)よくある錯視の問題で、AとBの線が同じ長さと説明された後で頭では分かっていても、ヒューリスティックにはどちらかがやはり長く見えてしまう現象が起こるのである。

対して、システム2(推論)を説得するのは簡単。

全ての視覚は認知と同じ構造である。認知システムは視覚に依存している。

訓練によってシステム2をシステム1(パラダイム)に落とし込むことは可能。特に身体を使う車の運転これが重要。

まさワークスがよく「気功は密教である」というのは、気功で書き換えるのはシステム1であり、パラダイムを書き換える(ヒューリスティックそのものを書き換えてしまう)技術だから。

まさワークスで「風景伝授」といわれるものもパラダイムそのものを書き換える技術である。ゲシュタルトを書き換えると言い換えてもよい。

気功の伝授や働きかけをしても気功が「効かない」という現象は、このシステム1の書き換えで起こった治癒反応(治癒現象)である「一時的な症状の憎悪」を、古い知識の入ったシステム2が検閲して止める為であると考えられる。

システム2(推論)は検閲して止めるのが仕事である。

このことは、やや不正確ながら「意識は我々の邪魔しかしない」ということとほぼ同義である。(不正確というのは、無意識と意識とは、システム1と2とはイコールではないという意味でです。)

気功に抽象度の高いIQや知識のゲシュタルトが必要と説明するひとつはここにあります。

例えば、数学者も答えを探すのはシステム1であり、その後にシステム2でロジックを繋げます。

気功やコーチングも同様に、新しい可能世界(クリプキの可能世界意味論による)を創造して、現状という可能世界からクライアントを情報空間内で移動させる作業をしている。

情報は目に見えない。目に見えない世界の教えは「密教」と言われる。

このシステム1の世界はゆっくりしか学習できないが、しっかりと落とし込めば全く違う世界が観えてくる。

密教に対して、目に見える教え(推論)を顕教という。

平面に描いた立体が、立体に見えるのは視差ではなく(も、あるが)片目でみても立体視できる。

視覚と認知は極めて近い。

つまり我々の認知はそもそも間違っていると考え予めシステム1のバイアスを知っておくことは重要である。

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