肝腎のことは、内在的実態を認識することである。
単なる知識ではなく関係性とは「意識する」と「しない」では雲泥の差がでる。
目の前にいる相手は、自分の鏡である。厳密に言えばあなたと相手の間にある関係性によって言葉や表情や態度が生じる。
あなたの宇宙には、自分しかいない。僕らは一人ひとりが違う宇宙(世界)を持っていて、物理的現実世界すら、それぞれの世界をほんの一部ずつを共有しているだけである。
しかしながら、相手の未来にとって良いことを思えばこそ、相手は無意識の領域からあなたとの関係性を重要だと考える。
一つ抽象度の高い、情報空間(概念や心の世界)で共有した部分が多いほど、お互いに臨場感が生まれます。
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相手を思いやることは大切です。
相手に、できれば明示的に示すことが大事です。
心ではそんなことを思っていないのに、違う行動をしてしまうというのは、単なる言い訳で自己中心的なだけ。
相手を最も重要な人物であると観ること。
相手もあなたをそう見るようになるのです。
(いつもですが不適当ですねw)
心で思っています!ではないのです。
心の変化が外ににじみ出るものなのです。
外に出ないのならば、本心とは言わない(大人の世界では)。
行動もせずに、コーチングを学んでゴール更新しているのに結果が出ません!という人と同じです。
気功は魔法ではありませんし、コーチングも魔法ではないのです。
魔法のように効くという方は、行動している人です。
現実的な行動とは情報空間の写像にすぎないのです。
『理性的であるものこそ現実的であり
現実的であるものこそ理性的である。』
ヘーゲルです。
(引用開始)
そこで肝腎のことは、
時間的な過ぎ去り行くものの外見のうちに実態を、しかも内在的な実態を、そして永遠なものを、しかも現在的な永遠なものを、認識することである。
というのは、
理念と同意義である理性的なものは、己の現実性のうちにありながら同時に外的な現存在のなかへ踏み入ることによって、
無限に豊富なもろもろの形式、現象、形態化されたあり方において出現し、多彩な外皮で己の核心をつつむからである。
意識はさしあたりまずこの外皮のなかに居を占めているが、概念がはじめてこの外皮をくまなく貫き通して、
内的な脈動を見いだし、もろもろの外的な形態化されたもののうちにも同様にこの脈博がなお打っているのを感じることになるのである。
(引用終了)
中公クラッシックス ヘーゲル法の哲学1 序文p.25
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