僕は毎日会いたい人に会いに行くのです。
会いたい人には会いに行きます。
お願いして会います。
何度会った人でも
一期一会です。
著書を通して著者に会います。
本をその人だと思って会う(読む)のです。
毎回違う本、違う人です。
前に会った人とは別の人です。
自分が会いたいのだから
自分の都合なのでお願いします。
相手の仕事に少しでも関係すれば
お金を払います。
先に聞きます。
払わなくて良いよと言えばある時は甘えます。
払いきれなければ、仕方ないです。
貯めます。
何かを学ぼうとするときの基本です。
例外もたくさんあって良いとは思います。
関係性です。分かりやすくお金の例を出しているだけです。
誤読されないようにして下さい。
例えば、「まささんがこう言った!」とこの記事をコピペしても履き違えて解釈されていれば「そんな事は言っていない」というでしょう^_-☆。
真意が伝われば良いと思います。
同じ場で、双方がその気になると必要なゲシュタルトの伝授が行われます。
同じ場にいさえすれば、同じではありませんし知識とゴールの問題もあります。
双方にです。(これも待機説法なのです。)
僕と何時間何年一緒にいても、同じ講座を受けても、結果はもちろん伝授されて使えるようになるかどうかは、須らく個人差があるということです。
当たり前です。
まさワークスはオンライン気功スクールのメールとビデオで軽々と時空を超えます。しかし、同じ僕とあなたならばお会いした方がより濃密ないわば加速学習が行われます。これも否定しません。
「はい。はい。」「ほうほう!」「なるほど、なるほど!」と昔のラジオのディスクジョッキーのようにテンポよく聞いていても、(実はIQが高い人に多いのですが)OSにあたる部分は書き換わらなければ単に「良い話を聞きました!」の状態で終わります。
「「僕は頭が良い」と思っている人問題」です。
自分のゲシュタルトは変えずに、その中でマッピングするだけです。
一緒にいると抽象度が高い方は一概には言えませんが)分かるものですが、敢えて言いません。分かる時にしか見えないからです。
そういう人でもセミナーやブログでは「抽象度」「ゴール」「臨場感「認知科学」などの用語がこれでもかと出てきます。
今の考えは古い考えだと本当に理解できるかどうかです。
古い考えを捨てることが難しいのです。
まあ、僕のことかもしれません。
怖いのは「無知」ではなく「無知の知」です。
「分からない!」とは思えないことです。そして矛盾して聞こえるでしょうが「分かった!」と思ったらヤバイと思うことです。
自戒を込めて
まさψ(`∇´)ψ
僕は毎日会いたい人、会いたい本、会いたい場所に会いに行くのです。
僕のカバンには、本は4-12冊くらい携帯しています。僕は著者その人だと思って(まあちょっと雑に扱いすぎかもでしょうがw)一緒についてきてもらうのです。
そんなのなくてもKindleでいいと言えば良いのでしょうが、(kindleは否定しません)僕がより感じる臨場感を大切にしています。