「自分の縁起も書き換わってく感覚。」とは、Rゆらぎの風景ですね。

家族ヒーリングで、一定の効果を感じるケースのひとつの特徴は、セッションに対するヒーラーとヒーリー側の、抽象度の高い真剣さである。

効くの?
効かないの?

と言ういわゆる半信半疑のパラダイムでは、あくまでも僕の経験的(クライアントさんのケースも含めてだが)な印象からいえば、効果は半減する。

だが、これは「信じなければ気功は効かない」ということを言っているのではない。

そのレベルの議論しか出来ない方々の為に敢えていう言葉が「気功は魔法ではない」である。(もちろん、そういう頭の不自由な方との議論はお互いに不毛なので、まさワークスは議論などしないのだが。)

宗教における信と不信とは、同じ抽象度であるということである。

マザーが、生前に神への不信を書き綴っていたことはあまりにも有名な話であるが、宗教における「信じる」と言うことは、何よりも先におかれる信者の思考停止を目的とする洗脳行為でしかない。

アンカーとトリガーという臨場感技術を操作して行われるいわゆる気功等の内部表現書きかえの技術は、存在します。

そして、その書き換えはヒーラーはさることながら、ヒーリー本人のIQがあった方がより大きな効果を期待できるのです。(経験的にです。)

では、昨日の遠隔気功ライブのフィードバックをシェアしましょう。

(引用開始)

> まささんこんばんは。
> ハーミー○○です。
>
> 本日も遠隔ライブありがとうございました☆
>
> 食後に寝てしまい、気付くと23時10分をまわっていました…。
>

> マントラを唱えると頭がゾワゾワ、シューっと沸騰するような熱くなる感覚
>
> その後あぐらに姿勢を変えると血がサーと降り、やや寒くなる。
>
> いつもの半跏趺坐がとても不安定…
> 身体が重い、グラグラする。
>
> 意識が遠のくような、これは私の身体じゃないような何か変な感覚
>

> 気の玉をつくる。
> 水の玉だ。
>
> 気の玉に映った自分が見える。
>
> 「開く」「チェス盤3」でフワンブヨンとどんどん大きくなる。
>

> 頭からその気の玉をかぶせ身体を入れてみる。
>
> シャボン玉に入っているような感覚。
> 入った瞬間から音の聞こえ方が変わる。
> 音が輪郭を失い反響する。
> 心地の良い空間…、呼吸が深い、ゆるむ
>
> 心はとても落ち着いている。
> 身体の中は熱いが体感は涼しい。
>

> 中から気の玉をまわしてみる。
> オーラドレナージュ気持ちいい!
> 変性意識がさらに深くなる。
>
> 手のひらで玉を触ると波紋が広がる。
> キレイ…
>

> 自分の縁起も書き換わってく感覚。
>
> あくびで涙がどんどんでてくる。
>
> 立ち上がり真っ直ぐ歩いてるつもりが左に左に進み、方向感覚がつかめない…笑
>

> 鏡を見ると少女漫画の目のようにキラキラしている。
>
> 抽象度高い顔している!とパートナー氏。
>
> 今から父のヒーリング行ってきます♪

(引用終了)

まさワークスのクライアントさんのフィードバックを読むと、その表面だけを読めばなおさら、宗教やスピリチュアルチックな言葉や表現が並び、一見摩ると区別がつきません。

なので、結構な割合で無邪気なお花畑の住人たちが迷いこんでこられます。

まさワークスで使っているスピリチュアル系の用語は、全てがその臨場感を拝借するための道具でしかありません。

その風景を上から俯瞰できる抽象度の高さをもって、使えるものは使役するということです。

情報空間で情報操作をする為には、感触のある物理体験の記憶や、情動体験、そして時にはギリシャ神話やイエスの言葉、伝統的なyogaや気功のストーリーは、アプリオリを排除しつつ利用するのです。

「庭が美しいことさえ分かれば十分じゃないか?
花の下に妖精がいるなんて信じなくても」

有名な「神は妄想である」の枕に置かれている、ダグラス・アダムスの「銀河ヒッチハイク・ガイド」からの引用である。

自分でコントロール出来る臨場感空間を、俯瞰して冷静にロジカルに思考を止めないことが大事です。

まさp(^^)q

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