人として恥ずかしい事なんてあるの?自分のゴール目指せば何でもいいでしょう?

『人として恥ずかしい事なんてあるの?自分のゴール目指せば何でもいいでしょう?』こんな風に思っている人を、このブログを通して育ててしまっていたのかもしれない、、、
と思いながら最後にこのタイトルをつけました。(自戒を込めつつ)
http://s.ameblo.jp/masaworks4u/
急に読者が増えている為なのか、、、、。
僕がいうのは皮肉に聞こえますが、「『常識』は洗脳」という以前の問題!としか言えないような、「少々『常識』のない」メールがくることがあります。
名前も名乗らずに、宛名もなく、、、ただ複数の質問を羅列して終わり。というメールは普通は親しくもない人間にしてはいけないと思いますkど、、、。
そういうのは、少なくともチューリングマシンコンテストにでも参加した時とか、google先生に聞くときだけにして欲しいと思います。
ぶっきらぼうに『気功師の様に気が送れる様になる為の遠隔は、できますか?いくらですか?』となどと質問だけ4つも5つも、矢継ぎ早に聞かれてそれだけっていうメールは困ります。
ってか誰?と言いたくもなりますし。
ブログをもっと読まれたら?と言いたくなります。
まあ、質問自体は悪い訳でも何でもないのですし。(まさワークスは「質問やフィードバックは歓迎です。」)もういいのですが、、、。
こういうケース以外でも、最近は信じられないことがかなりあります。
匿名の場合や、実名を明かしていないとき、人は人格が変わります。
ネット社会の浸潤の弊害ですね。まあ、インターネットはそれを上回る恩恵も多いですし、リアルな現実世界だけでも以前から様々な人がいるので、僕の偏った体験による記事と思って結構です。
僕自身「普通」の「常識人」ではないですし(笑)
また、人がひしめき合う都市生活の中で、ちょっと家族やそれまでの縁起やしがらみと離れて暮らしているだけで(それ自体は悪いことでもないのですが)、急に世の中の広さや「自由」を感じるのか、フワフワとした違う世界にでも来たような感覚にでもなるのか、他者に対して直接間接的に、責任のない迷惑態度を取る若者がいます。(若くない場合も同じようにありますが)
罪を犯しても見つかっていない、見つからない、乃至はそのまま逃げる事ができる、もしかして許して見逃してもらえる(?)と思うような風潮がネットでもリアルでも増えているのでしょうか?
しかし、いかに遠いように感じても、社会生活をしている人の縁起(関係性)など恐ろしく近くにつながっています。(本当の怖さは自分自身に帰ってきているのです。これは別の記事か後述します。)
Facebookでご経験されている方も多いでしょうが、お互いの友達や家族もすぐに繋がります。これからは、もっとリアルとネットが繋がりますし。
明らかに、罪を犯せば、訴えられ罰せられます。そういう社会です。
しかし、「それってフーコーのパノプティコンじゃね?」と思うのは早計です。
支配者による監獄の全展望監視システムや苫米地博士の「バイオパワー」(生権力)の話しをしているつもりではないです。
国民一人ひとりが税金を支払って支配者に権力を一任して一つの国家単位で人格を形成するというホップスの社会契約論を説いた「リヴァイアサン」ではないですが、現代日本にも警察や裁判所といういわば市民が税金を出し合って委託している、おおむね優秀なサービス機関(微妙な言い方ですが)があります。
僕は長年の会社経営での数々の手痛い経験からか、トラブルは起こさぬ様に慎重です。(ファイヤーボールの無償配布もトラブル防止の為でしたね。)
(実際に振り返れば多くの間違いやらキ○ガイ沙汰も起こしましたが。)
裏切りに対しては相手は関係なく、迅速に法的に処理をします。
処理に関しては感情的というよりも、ゴールを設定して動き始めたら悩む事などありません。
むしろ冷徹に徹底的にです。
いわゆる物分かりは良い方だと思います。「切り替えや変わり身」は早いです。
「受けた恩は石に刻め」というつもりはありません。しかし、「依頼を受けて、心を尽くした人に、仇(あだ)で返された場合」は3倍返しは当たり前です。
ほとんど、そんなことはありませんし、これからもないと信じたいですが。
スタンレー・ミルグラム博士の「六次の隔たり」ですね。いわゆるスモールワールド現象ですが(ディズニーではないです)、若いうちは特に、生徒や学生だったときに地域や学校という本当の意味でのスモールワールドでしか生きていません。
ミルグラム博士の実験の精度はともかく、社会に出て間もなくすると「It’s a small world!」を身にしみて感じます。
(ちなみに1967年に行われたこの実験ではアメリカの国民から無作為に抽出した2人が平均すると6人の知り合いでつながっているという結果でした。)
閑話休題。
自己責任とは「自分で取った行動の責任は自分が負う」という至極当たり前のことです。
お金を自分で稼ぐ様になったら、何でもよい、他人に少々迷惑や約束たがいをしてもよいのではありません。
人に対して、真摯に、誠実に、相対することが出来るようになれたらいいですね。
「親のせいでこうなった!」じゃなくて、自分の自己責任で自分の人生を生きることです。
一度失った信用は決してお金では買えません。もとどおりになることはありません。
折り紙で折ったそのシワは永遠に消えないのと同じようにです。
自分の不誠実さから引き起こした信用の崩壊からは決して救われません。もとにはもどりません。
シワが残るのです。自分の言動は永久に消せません。
しかし、せめて過ちを犯したら、悔い改めることです。相手を傷つけたら、謝る事です。
それは、相手には相手の宇宙があるからです。
私たち特に若者が、長い長いと思っている人生など一瞬です。人生は生命時間で出来ています。
生命時間を無為どころか、縁起やつき合っているコトや他者に迷惑をかけて逃げていく人生は寂しいだけです。
言葉の意味の厳密な定義の話しではなく
「自分に正直に生きる事、人として恥ずかしくない事をすること」です。
人をだますことは愚劣な行為です。
その上で、好きなゴールに向かうのでしょう?
“Capish?”
まさ^^/ )). ))). )))) )))))
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人として恥ずかしい事なんてあるの?自分のゴール目指せば何でもいいでしょう?” に対して1件のコメントがあります。

  1. まといのば より:

    SECRET: 0
    PASS:
    本当にその通りですね。
    非常に見事な論理と文章の展開で感服しました。
    まさに「それが言いたい」という内容をまささんが書いて下さったように思います。
    ありがとうございます。

  2. SECRET: 0
    PASS:
    >まといのばさん
    いつも、コメントありがとうございます。
    僕も人生で多くの間違いを犯しています。それは、誰しもあると思います。
    気功の技術だけではなく、更に抽象度を上げつつ、時には蹴落とした「梯子」を示してあげたいと思います。
    最低限とはいえ抽象度は少しばかり高い意味で「自分に誇りをもてる人生」を送ってもらいたいと願います。(この記事のテーマですが)
    このボタンを掛け違えると本当に大変だと思うのです。
    ありがとうございます。
    まさ^^/

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