臨場感とまさワークスの終わりについて(再編)

「臨場感」からの卒業とはなんでしょうか?
まさワークスの終わりとは何でしょうか?
最近のパラダイムシフトの一端です。
「リアリティ」の感触を担保してきた「臨場感」の従来のまさワークスの解釈のパラダイムの梯子をまた一段上がりました。
いわゆる(少なくとも僕自身が)「臨場感2.0」と呼んでいた解釈が新たに書き換えられました。
抽象度の高いアルゴリズムに対する「臨場感」いや「感触」の感じ方の座標軸がかわりました。
帯広のワンデイ講座は特別にここから入って行きます。
「気功」からも、「臨場感」からも、そしてその先ゴールさえも卒業して行きましょう!
ここに来て名著「新・福音書」や「-宇宙を語る」がカラーに、いや別の本に見えてきた。
「巨人の足あと」が写像であったことも、フラクタクルな構造も、アリスもマトリックスも、、、。
まさに「フラットランド」(2次元人)の言葉流に、僕なりに言えば「立体感」や「輝き」だろうか。
昨日、例の幻肢痛が一瞬で氷解した(ブログ内検索!)彼と会う機会があった。
昨日も彼は「連日の溜まったストレスや肩こりや頭痛、全身の倦怠感」も抽象度を上げた情報場を書き換えることで全て忘れてしまう程に良くなった。
パラダイムを獲得することで、ブログを読んでいるだけで情報場を書き換えることもより鮮やかにできるようになる。
「カイト」などの気功技術伝授後も、アルゴリズムの理解で諸問題の解決も操作がより明確となると思う。
「思う」と言ったのは、個人差はあるが、自転車などと同じで習熟するための修練は不可欠ではある。
新技術「カイト」の風景と基本的なアルゴリズム、アイデアの構造が同じだったので、「実装」のためのシミュレーションをして行きましょう。(あなたと一緒にね)
この感触、今回見えて来た「臨場感」は、今まで言葉足らず(いや知識と抽象度足らずか)でいた部分が明瞭になりました。
「ユーザーイリュージョン」などの内容も新たなゲシュタルトが次々出来ている感触があります。
「フラットランド」的な表現になるが、現在進行形いや、未来完了系(!)で行くという「ゴール」論的な言い回しも対機説法でしかない。
いわゆる「新しい」ゴールコーチングでいうところの「Want to」の言い回しだけを何とかの一つ覚えで言っているだけのコーチングが、スタートしたところから抽象度をあげていかなければオ**ンであったという感覚が、繋がった。腑に落ちた。
「抽象度」ですら、間違った使い方、というより、固定的な「価値」基準でもないことが理解されているとは言えないと感じる、(これは、大いに自戒ですが)
まさワークスも、スタートから自らを常に「オワコン(終わったコンテンツ)」としてきているが、その考え方は今も変わらない。
(当ブログもいつ閉鎖するかも知れない状況である。)
丁寧に梯子を繋げては、古い梯子を蹴落として行く、、、この作業を続けて参ります。
パラドキシカルですが、見えない程遥か遠いゴールを見つめながら、、、たんたんと、、、。
まさ^ ^/
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