ミスチル「hypnosis」からの「このまま夢のまんまもう現実に引き返せなくたっていい」

ミスチル「hypnosis」は最近の僕のアファメーションとなっている。
歌の世界につかるのではなく、歌の世界を俯瞰してアファメーションになる部分を切り取る感覚がいいと思う。
聴ける人は再生しながら読んでみて欲しい。

歌は、他人が作った臨場感空間そのものなので、例えば暗い歌やネガティブな歌を何の気なしにずーっと聴いていると本当に無意識、、、と言わず内部表現が書き換えられる。
まあ、アイドルや熱狂的な音楽ファンを見れば分かると思うが、、、。プロスポーツの熱狂的なファンも同じである。まあ、プロじゃなくてもオリンピックがその代表例だが、、、。
僕も小学生の頃は巨人に熱狂したし、中学生になるとアイドル(ご存知松田聖子のデビューが中1)のポスターで部屋の壁は埋まった。
未来の理想の世界の臨場感に住むというアイデアがこの歌に入っているのだが、見事にホメオスタシスフィードバックで不安にかられている。
しかし、この抽象度にいてはいけない。あるいは、この抽象度から上に上がれる事を知ることだ。
「不安何ですけど、、、」という人には(もちろんそれぞれの気を読んでのことだが)、「だから?」という返答をすることもあります。
脳が「新しい事をするが未経験である」というとき、「成功する可能性が皆目わからない」という情報のことを「不安」という言葉で処理しているだけと思う事だ。
「不安」という言葉(プログラム)は「不安」を募らせる性質がある。不安だからさらに不安になる、、、が止まらない。というお化けのようなプログラムだ。
で、「不安」に感じた自分に対しても「どうして?」「だから?」と聞き返すことだ。いくつかの理由を考えることで抽象度があがる。中国天台宗を創始した智顗がいう止観である。
「全てが想い通りにならぬ事くらいは知っているつもり でもすんなり受け入れられもしないから、、、」
という歌詞は、ホメオスタシスフィードバックといわば自由意思が闘いながら言っている言葉そのものである。
同じ抽象度ないしは、ホメオスタシスのしくみが分からずに支配されているか、仕組みをしっかりと理解して上の抽象度から俯瞰していることは全く結果が違うのだ。
今は成功という定義はそれぞれに任せるが、成功するコツは、成功した世界の自分の臨場感を上げることである。
つまり、それがあなたの現在形での当たり前の現実とすることである。
J-POPは、情動が激しく動いている場面、最も共感を得られるストーリーそのものを売っているのです。
しかし、それらを上から見下す(みおろす)ように見ていいのだ。
「現実から見放されても」の部分は現実を見放して新たな現実を創るのは自分だし、「自分に潜んでいた狂気」など狂気ではない可能性があるし、「オブラートに包んで何度も飲み込んだ悔しさ」は原動力に使えばいいのだ。情動は夢の実現に使える。
そのまま低い抽象度で聴くとホメオスタシスフィードバックの応援歌にもなりえるし、あなたが抽象度をあげて聴けばアファメーショントしても使えるのです。
例えば最後の歌詞は、「終わらぬ夢のその先に 僕は手を伸ばす」ですが、、、僕は「手を伸ばす」ではなくて、そこにつっこみを入れます。
自分はすでにその夢の世界にいるという臨場感を上げるのです。あなたは、その未来の臨場感世界から「懐かしむように」この歌の世界や今の現実を俯瞰するのです。
「懐かしむように」とか「当たり前の様に」という臨場感が伝わればよいです。
まさワークスの要諦です。
これを、頭ではなくて無意識に落し込む技術が「(アバター)ジェイク」です。ジェイクとマイワールドは非常に相性がよいです。
僕は「ジェイク、マイ、ジェイク!」という映画アバターのネイティリの台詞をマントラのトリガーにして同時に発火させるのがお気に入りです。(ね、情動記憶を使え!ですね。)
ネイティリへの恋愛感情をも気功技術開発に使っていました。ちなみに、このラストのアバタージェイクが目を見開くシーンは気功技術「(アバター)ジェイク」の肝の部分です。映画館でこれをみるために(もちろん、すべての映画のラストシーンです。ジェームスキャメロン監督の意志が、この開眼シーンに全てが詰まっているのです。ここから、ジェイクとネイティリの本当の恋が始まります。ネイティリとは何の象徴なのでしょうか?)

ちなみに、「脱洗脳」の時に僕が自分の情報空間で流す(勝手に流れます)BGMはレオナルイスのI SEE YOUです。

まさ^^/

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