僕はどこかで「もっと能力が欲しい」と思ってました。その能力があれば(やりたいこと)が出来るのにと
素晴らしい気づきの瞬間ですね。
思い描いていることをやるのは今です。
描く場所は心のキャンバスに描いたら、絵の具が乾かないうちに物理的立体的な現実世界に写し取ることです。
これだ!と思った時は、「チャンスの女神に後ろ髪はない!」と思う事。あれがチャンスだったのか?と悔やんで泣き伏すくらいなら、「チャンスは常に目の前にある」と思いなおすこと。
人生って、ただ「今」しかない。
ゴールへ向かう考え方をすることですね。強引に。セレンディピティです。
(抜粋引用開始)
僕はどこかで「もっと能力が欲しい。」と思ってました。
でも、順番が逆でした。
やりたいことを実現するためにやれること全部やって、それでも全然足りないと強く認識しない限り(飢えてない限り)、能力なんて上がらない ですね。
(抜粋引用終了)
「気功技術は不要」の議論にも似ています。
「知識は不要」という議論にも。
もちろんどちらも条件付きですし、ゴールありきです。
飢えてもいない人に、「クレイジーになれ!」といっても「ばかじゃん」って思われるだけ。
そういう人たちは、自然に我々から遠ざかる。
それが、誰であれ心配することはありません。
もっとよい「場」になるだけです。
「クレイジーになれ!」ってまさワークスの言葉に直せば、「真面目にやれば?」ってだけなんですね。
ただし、自分のゴールに対してです。
10年で100メートル先を目指しているのなら、死ぬ間際まで走る必要はないのです。
僕は、遥か遠い理想の未来を淡々と見つめ続けながら、この僕自身の旅を急ぎます。
まさ^^/