僕が、ビジネスだろうが、何だろうが敢えて「拙速」「拙速」と言うのは、テキトー仕事をやればいいと言
こちらは、オンライン気功スクール「縁起のマトリックス」の「箱庭」という、ベーシックな技術の解説レクチャーへのフィードバックです。
レクチャーを聞いていなくても、十分に学べる抽象度の高いフィードバックです。
ありがとうございます。
(引用開始)
> まささま
> ○○です。ありがとうございました。
> 内容濃くて、おもしろかったです。
> 学ぶということは、つくづく「見る」ことを洗練していくことなんだなと感じました。
> 箱庭もさかさめがねも、なんとなく感じられたような、気がします。
> 「電車」と聞いて強く記憶に残っている感覚が確かにあります。
> 普段から、焼き付けるように「見る」こと、臨場感を自分でつくり出すことは助けになるんだなと思います。
> 自分含め、自分のことを「かわいそう」と思いたがる癖、先へ進まないようにする癖、自分は動かず相手を変えようとする、おせっかいなことを言う、
>こういうことって自分が思っているよりもかなり頻繁に起こっていることだなと、最近特に思います。
> 「まさ式大周天」遠隔ライブも、ありがとうございました。
> 記事「ゴールがあり、自分の可能性を信じて信じて、信じて、日々の実践をすることです。」に書かれていることがすべてだわと感じました。
> 好転反応はきついです。
> 自分が、というより周りが、周りが自分を見る目だったり、場の空気だったり勢いが力あるものに変化していっていることを感じます。
> 「始める」のならほんとうにすぐ出来るんだなということ、それからが大事で、目先のことを今までのやり方でこまごまと何とかしようとしないこと、すべてをゴールに結びつけること、人のこれから、媒体そのものを生かすことを考えること。
> いろいろ、忙しくなってきたり、新しい課題を与えられたり。
> 人との関わりも変わってきたり。楽しみです。
>
> 『<意識>とは何だろうか』、わたしも影響を受けました。
> 「読む」こと、受け取ることこそ能動的な行為だと思います。
(引用終了)
真剣さは、加速学習に不可欠な要素です。
フィードバックをする中身が探してもないとか、時間がなかったり、忘れてしまう時は、気功スクールに対する向き合いかたなので、それはその時々、それでいいと思います。
他者のフィードバックを自分のフィードバックの様に読むという「方便」は、より臨場感を持たせる技術として再三述べてきました。
抽象度というアルゴリズムの定義を理解できていても、感覚として分からない時には、取り合えず使える「方便」ですし、その抽象度においては整合性もあるように聞こえます。(実際問題、整合します。)
しかし、なお皆さんにフィードバックをすること、アウトプットを勧めるのは、もっと別の意味での効果があるからです。
アウトプット特に、メールにてアウトプットすることは、情報を更に自分の深いところへインプットするために必要です。
同時に、インプットした情報を一旦捨てるというヒューリスティックな臨場感を経験する意味も包摂します。
情報は生きていて、常にダイナミックに流れているという感覚を養うトレーニングにもなります。
分かりますか?
その意味で、アウトプットとインプットは真逆に見えて、同じことです。
スキーで、曲がる技術と止まる技術は同じことだというのは分かりますか?もう少し、いやかなり視点をあげれば、進む技術(技術というより進むことといった方がいいですね。)と、止まっていることは同じことです。
希望と絶望は同じものですし、何かを買うことも売ることも抽象度をあげたら同じことです。基本的に(等価)交換です。
情報は流れているのです。宇宙は、或いは宇宙で起こっていることと言い換えていいと思いますが、常に計算しているという感覚です。
抽象度の理解があれば、扱っている情報のレベルついては意識をするクセをつけましょう。
つまりデータレベルとしての情報なのか、発想や考え方のレベルとしてか、アルゴリズムやプリンシプルとしての情報なのかです。
おっと、フィードバックに戻りましょう。
「 記事「ゴールがあり、自分の可能性を信じて信じて、信じて、日々の実践をすることです。」に書かれていることがすべてだわと感じました。 」
はい、ここに全てがあると言える方は、僕と必要なデータやアルゴリズム、ゲシュタルトを共有出来ているからです。
blogにすべてかかれています。と言うのは本当です。同時に、嘘っぱちかも知れません。
僕がblogの随所で紹介している参考図書もしっかりといや、取りあえずでも読んで、(まあ僕も上澄みに過ぎませんが)いなければ、その文章を読んでも、同じパラダイムを共有しているとは言えないかもしれません。
知識を入れるのには、IQも抽象度も必要です。そして、あなたがこの文章を、blogを読んで専門用語は別にして理解できる力があるのなら、チャレンジ出来ると思います。
「私は、大学にも行ってないので」という方は、それを理由に今から死ぬまで成長を止めるのでしょうか?
興味、真剣さのどちらかがあれば
勉強はいくらでも出来ます♪
今思えばですが、分かりやすい文章で書かれている本でも、僕は、難しくて読みづらいなあと感じていました。
例えば、安保先生の「病気は自分で治す」とか、エッセイ程度の本でも、かなり手こずっていました。
しかし、自分であるときに自分の体調に深刻な異変を感じたとき(2012年の初めごろです)、ものの30分で一気に読みました。
真剣さは必要です。
僕が、ビジネスだろうが、何だろうが敢えて「拙速」「拙速」と言うのは、テキトー仕事をやればいいと言うの意味ではありません。
真剣な場に出ることです。
イエスがパウロへ言った言葉「町へ行きなさい。行けばお前のすることが分かる。」この言葉を、2011年5月に先生から頂いたのが、まさワークスの(何度か目の)本当の始まりでした。
本当言えば、「石橋を叩いて渡る」でも、何でもいいと思います。実際に石橋どころか丸木の橋すらないのがリアルワールドです。
誤解を恐れずに言えば、「良いものが売れる」のではなく、「売れるものが良いもの」なのです。
ゴールを見詰めて、(ここで「拙速」を使わないとすれば、)じっくりとでも、完璧にでも
、表現なんて僕は別に構わないので、真剣になることです。
実際、ビジネスをしたことがない人が、ビジネス本を100年読んだからと言って初めは役に立ちません。
そろりでも、サクッとでも、じっくりでも良いのですが、始めることです。
「失敗こそ最大の学び」だったと痛感します。その意味で「失敗などない」と言えるのです。
フィードバックの最後の言葉「 「読む」こと、受け取ることこそ能動的な行為だと思います。 」
そうですね。
何も吸収せずにアウトプットばかりでは行けません。たくさんの知識を吸収して、どんどんアウトプットして、思考するための知識にゲシュタルトを構築していくことこそ「実行力」「実装力」に繋がりますね。
要するに、息を吸うのが大事なのか、はくのが大事なのかではありません。
どちらも大事であり、なぜどちらも等しく大事かといのは、その先のゴールを見る視点、つまり抽象度の高いゴールがあって初めて理解できるのです。
まさp(^^)q