アクセルとブレーキを同時に踏み込んでいないか?
僕達は何かと無駄にアクセルとブレーキを同時に踏み込む。
しかも、大事なときに。
無駄に緊張する。
これが、ホメオスタシスレベルで(抗うことができぬほどに無意識にという意味だが)働いている。
脱力一辺倒ではだめという意味だが、このクセを修正するために必要なのは、抽象度をあげて、すなわち知識とIQを上手くコントロールして、よく見ることである。
つまり起きている事象を、ひとつ高い抽象度においてゲシュタルトを作ることである。
低い抽象度のままでは、直線上のアクセルとブレーキであり、思い通りに心身を操作するために必要十分なアクセルとブレーキの強さと方向性をコントロールするための区別がつかないということである。
しかし、高い抽象度からみれば、単純な2項対立的な図式に、角度の違ったパラメータが加わって、立体的に見えてくる。
今までプラスとマイナス方向の数直線のようにしか見えていなかった事象が、まるで6角形のダイヤグラムの表のように違った色、方向性をもった要素に分けて見えてくるという意味である。
これがいわゆる新しい考え方のフレームとか、パラダイムといわれるもののひとつの例えである。
そこでは、同じことばを使っていたものにもかかわらず、違った色がついていたり、全然違った方向180度反対側を向いていた概念が、実は同じものであることに気がつく。
すると、途端に「脱力、脱力。」と一辺倒にしか理解していなかったことの、より繊細な意味が見えてくる。
「希望と絶望が同じもの」という意味も、抽象度を上げた視点で俯瞰したときに見えてくる。
ある方向への筋肉の動きは、アクセルであるが、反対方向の拮抗筋はブレーキとして働く。僕達は往々にして、このアクセルとブレーキの両方に無駄な出力をかけている。
しかも、緊張すると関係のない方向や箇所の筋肉も拘縮させてしまう。
雑に言えば、無駄な方法でエネルギーを出力しているということである。
四六時中、僧帽筋で無駄に怒り肩にするべく、ハムのような重い両腕を持ち上げて、肩凝りや頭痛を作っている。
その他に、どんな無駄なことをしているのか、自分が決めた動きや考え方の結論を出すためのあるべき力のいれ方、抜き方を考えて見よう。
SYSTEM2(推論)で理解できて初めて、SYSTEM1(直感)に落とし込みが有効となる。
まさワークスが、より高い抽象度を目指しているのは、それぞれ自分自身が選択した役割や機能をより効果的に果たすための道具を作り上げるためである。
まさ(^^ゞ