抽象度の高いところへ行かないと教えてくれないこと、感じ取れないこと、経験
これは、「ハリーの特別列車」の感想と遠隔のフィードバックです。
ビデオをまとめて集中してみるのはよい考えです。
(引用開始)
まささま
ハーミーです。ありがとうございました。
まとめて見ると(溜めるのは避けたいですが。
(引用中断)
はい。( ̄^ ̄) 当然。
動画から気を流しています。
(引用再開)
最後のCubeの音でも、ずいぶん体がゆるみました。
意識に上げる=気功技術であり、Rゆらぎの時間(=
最近は特に、時間が生きもののように感じます。
抽象度の高いところへ行かないと教えてくれないこと、
(引用中断)
関西から年末にわざわざ渋谷セミナーに参加された甲斐がありましたね。
渋谷はまさワークスの聖地ですw。
僕自身が88-93年に過ごしたhomeであり、某ワークスで札幌から08年から受講の為に数十回と通いつめた場所です。
スーパーボイス開発のきっかけの場所は渋谷のタワーレコードです。(余談が大切です。重みづけです。)
(引用再開)
美女ダイエットの遠隔もありがとうございました!
肌がやわらかくてすべすべでした。
鏡を見ると自分がぼよんとしているように見えます。
輪郭が際立って見える、冷静に見ることができているのか。
下丹田がわりと常にあたたかい状態で、安心感があり食欲の前で冷静な自分がいます。
そのときの自分が選んでコントロールすることができる、
やることが多く、責任も重くなっていくにつれ、
バランスを崩して突出させながら成長していくんだなと思います。
(引用終了)
そうですね。
バランスという言葉は、かなり誤解を生む言葉です。
言葉は、その先に論理が繋がっているかを(いや、ゴールに強引にでも繋がっているのか、その機能を果たしているのかだけが大事ですが)確認すべきですね。
それがないバランスという言葉は、アプリオリの(に)矮小化ではないかと疑ってみることも、時には必要です。
大抵はバランスが取れているという表現で安心している場合が多いです。
ぼんやりと抽象的になった概念だけが浮いているバランスは、ただの張りぼてです。
バランスよく食べようという言葉には、なんの意味もないのです。
1日3合の米と少しの味噌で健康になるのなら、宮沢賢治ももうすこし長生きしたかもしれません。(確か享年38才)
まあ、彼の例はただの一エピソードにすぎないですし、加えて原文は四合であったそうですが、教科書掲載の時に、当時の食料事情によって3合に減らされて許可が降りたという逸話があります。知識も豊かさも今とは事情が異なります。時代ですね。
僕がお米も、「野菜」も炭水化物だったと分かったのは、実は数か月前です。
3大栄要素と言われた炭水化物の、WHOが2014年5月にホームページに示した1日の摂取量のガイドラインは、平均的な成人男子でわずか25g未満でした。
ご飯茶碗1/5です。
たった「25g」という量もですが、「未満」という部分に注目すれば、僕には「炭水化物は栄養じゃなかったよね」という声がきこえてきます。
毒とは言いませんが、、、。25g未満です。
WHOがわざわざ世界へ向けて発信したガイドラインです。
その前のガイドラインは50g未満だったという事実にも驚きました。それでも一日ご飯茶碗半分です。
お米の国日本だけではなく、パスタやパンを主食とする人類のどれほどがこの知識を知っているのでしょうか?
まだ、米食ってるか?!しっかり食え!といってる場合じゃないということですよね。
こうなると、日本人の5人に一人は糖尿病の予備軍と言われているのは、単なる知識不足ということですよね。20人に一人は糖尿病になっているのです。
バランスという概念の後ろに走るのは、アプリオリか無知であることが多いと注意することです。
まさ^’^/