辛い時に、、、とっておきの考え方。
辛い時に、、、こそ。
抽象度をあげましょう。
一段だけ上から自分を眺めてみましょう。
1年後の世界から自分を眺めてみましょう。
空を見上げてみましょう。
『深い絶望からしか本当の希望は生まれない。』という言葉が僕は好きです。
『中途半端な絶望と、中途半端な希望ほど邪魔なものはない。』という言葉も好きです。
僕の先生から教わった重要な言葉です。何も絶望しなさいという言葉ではないのです。
僕がこの言葉の本当の意味が分かっているかどうかは問題ではなく、あなたの役に立つこともあるかもしれないと思ったのです。
僕はふと落ち込んだ時は、まだ絶望が足りないかもと思いもっと深く深く絶望するように自分を仕向けます。その内、何に絶望していたのか忘れます。
気がつけば、、、目が覚めて、、、現実に気がつけば、、、深い絶望からしか始まらないのかもしれません。
そこに、あなたの役割が立つのです。縁起のネットワークの中にあなたの役割が立つのです。
抽象度を挙げるとわいわいと目的もなく群れている世界から、見たらずっと孤独な世界に感じると思います。
しかし、それがどうしたと言うのでしょうか?
初めから、自分=宇宙と認知科学の結論を感じるのは難しいかもしれませんが、じきに気がつくと思います。
抽象度があがるということは、一気に身体が緩む 瞬間であり、同時に心にも身体にも好転反応が現れます。
好転反応は知っていたつもりでいても、いざ自分に起こった時に最大のスコトーマとなります。
いざその時になると、すっかりとホメオスタシスに騙されてしまうのです。痛いので、不安になります。一気に抽象度を落として痛むところをガチガチに固めてしまうのです。痛いのは治癒反応でって知っていてもです。
ホメオスタシスとは、端的にいえば変わろうとしないこと全てです。恒常性維持機能という言葉の表わすとおりです。彼らは、常識と言う仮面を被って現れます。
彼らは論理的に見えますが、装っているだけです。ホメオスタシスとは、変わらない自分の明日の為に組み立てる無限ループのプログラムのようなものです。
一貫性は持っているので、『自分は自分、変わらない。』という一見『常識』なのですが、実は自分を『ア・プリオリ』という不動の一点にして固めてしまいます。
そう考えると、人間はアンドロイドの様ですね。生物は皆プログラムで出来ています。人間が行動を起こすことを調べていった結果、自由意志はすでに現代の認知心理学では否定されています。
だからこそ、『やりたいこと』やろうということなのです。それでも、あえて『自由意志』によってゴールは設定できるのです。
『自由意志』ってべつに高尚である必要などないと思います。それじゃなきゃ『自由』じゃないですものね。
好奇心でいいと思います。
エフィカシー高く、悲観的にならないためには、遠いゴールがあるはずぐらいの感覚です。しかし、かにあってそこに必ず行きたいし、そうなると知っているという感覚です。それくらいのゴールです。その実現の為に動くのです。
突き動かしているのは、自分のゴールです。
近視眼的になりすぎに注意です。
今、あなたが絶望しているのは、もしかしてアメリカを目指すのに最短距離は東だったのに、西へ向かっていたことに気が付いたくらいのことですか?
正反対ですよね。
しかし、だからどうだといういうのでしょうか?
現状を嘆く必要などありません。現状とは過去のことです。あなたは未来に向かって行けばいいのです。
西回りでもUターンでもしたらよいのです。
よく言われますが、道中を楽しむことが人生です。あ、あなたの考え方が違えば別に構わないのです。
世の中には悲劇が好きな人がたくさんいますし、リアルな世界でも自分と自分の世界をいかに絶望的かというところを見つけて嘆き悲しみ、怒り狂っているのが好きな人がたくさんいる事くらい知っています。
少し前までは、率直に**と呼んでいましたが、、、不思議な人達です。
楽観主義者になるには、行き当たりばったりという意味で戦略的なIQが大いに必要なのです。
できないできないと、癇癪を起こして当たり散らして泣きわめいている幼児は、時に可愛いですが、大人になると不思議な人です。邪魔なだけです。
悲観的には**でもなれます。
自己責任も同じです。自己責任ってべつによく使われている責任をとって辞めるという意味で使っているわけじゃありません。
やめればいいというのも不思議です。結果的に辞めるという選択肢があるだけで、自分で自分の道を自由に選ぶということが、僕が使う自己責任です。
だから、結果は必ず成功なのです。物理的な意味での結果としての状況や状態のことを成功か失敗かではないと思っています。
自分自身のウォントゥの選択であったかどうかが問題なのです。
それには、少なくとも100年以上先のゴールを見すえた自己責任の世界に生きればよいです。
悲観主義から、楽観主義に変わります。いや、変えるのです。その方が簡単です。(変わりませんという人は、それでもいいです。こんなことは、あなたが選ぶだけのことですから)
どこにも真実などなく、私達は自分が思い込んでいる或いは思い込まされている話しを信じちゃってるだけなのです。
今の国のシステムがどうのということもありますが、200年前はまだ本気でリアル王様ゲームをしていたのですよ。1789年でしたよね。フランス革命は。
社会的地位など関係なく、あなたがどんなに自分では何者でもないと思っていても嘆く必要などありません。
自分なりに少しでも多くの人によい影響を与えられる様なことを、ただ、やりたい事をやればいいのです。
人生は考え方です。
人生はチョコレートボックスと言ったフォレストガンプではないですが、僕は遊びというフレームの中に人生を入れてます。
そして、どんな感情も論理であるという抽象度で、情動は人生を楽しむためのスパイスとして、苦みも渋みも辛いも全て嬉しい楽しいなども同じですという抽象度で考えています。
情動など、計算、打算に過ぎません。そこに気がつけばかなり楽しくなりますよ。
まさ\(^o^)/