待つ人と待てない人
「待つ人」は時に賢く見えるかもしれない。
(いや待つこと全てに言っているのではないので、行間を良く読んでほしいのだが。)
確かに待てば条件は揃うかもしれない。さらなる情報は入ってくるかもしれない。
しかし、「待つ人」になってはいけない。
「待てない人」しか経験が出来ない世界がある。
我々は完全情報は持つことが出来ない。結局我々人間の視点とは、何が起こっているか全てを把握することは出来ない。
不完全な情報しか見えず、それでもベストだと思って、不合理な決断を下していき、時にはすれ違ったりしながらも、ゴールへと進むべきなのだ。
何故なら、私たちは今終えるかもしれない人生を生きているからだ。
自らに機能を果たす。自分に役割を与えて、決断し、前進する。
決断とは、古い考えを断つこと。昨日まで、いや今までしがみついて上ってきた梯子を蹴飛ばす。
対岸についたらその船は燃やし尽くすまで焼き払う。
そして、新しい真っ暗闇に自ら光を灯し歩き始める。
僕は、自分が自らの世界に対して果たす役割を決め、見返りなど期待せず、心から自分のやりたいことをして「機能」に徹することが出来れば良いと思う。
「あなたの至福を追求せよ。」とは、「神話の力」の著者ジョーゼフ・キャンベルがいつも学生達に語りかける言葉だそうだ。
「お金」があるから自由なのでは決して決してない。極論や暴論に聞こえると思うが、(一般的にはそうだろうが)自由になるのにお金は不要だ。
自分に由って、ゴールを設定し、更新し、それに従って真っ直ぐに立つこと、感じること、考えること、歩きだすこと、走ること、そして失敗することも含めた人生が「成功」でもあるし、最高の「楽しみ」ともいえる。
自由になるためには、まずお金だ!!というあまりにも偏った考え方こそアプリオリであるとまず気付くことである。
お金に絶対的な価値はないということを知るべく、自己脱洗脳をするというのは、ひとつのタクティク(やり方、方法)ではあるが、それとて絶対の方法ではない。
それをしないとお金持ちになれないわけではない。(試しに、機会があればお金持ちに聞いてみればよい。)
しかし、 お金を得るために、金持ちになるためにということがゴールであれば、それは違う。ブラックジョークのようなものだ。
それは、とりあえずの通過点であることを知っておく必要があるとおもう。
また、その上で(例えばなのだが)「一万円札を破く」というワークをただの「お話」や「知識」として知るだけで終わっている人もいるだろうが、大変もったいないとも思う。
別にやれといっているのではないし、やったらお金持ちに必ずなれるわけでもない。
今あなたは、何かを賢く「待って」いるのだろうか?
「待てない人」になって、自分の人生を生きましょう!
まさ^’^/