どうして認知科学や超情報場仮説で美しくなれるのですか?
どうして認知科学や超情報場仮説で美しくなれるのですか?という疑問にお答えします。
世界は初めから抽象度の階段があって、その世界を移動すれば抽象度が上がっていきます。
わかりやすい説明なのでお付き合いください。ただ、この理解が進むだけで美人になっちゃう危険性もあるので、もう美しくなるのは嫌!という方は読まない方がいいです。(冗談です。)
物理空間は3次元(cube)だが、2次元(平面)的に把握してる人がいたとする。
(この稿は全て「認知科学への招待」の要約編集いやほぼ抜粋引用に限りなく近いです。自分用のメモです。
まさワークスの『気功』とは、アンチエイジングや美容整形、ダイエットやヒーリングなどの書き換えは、認知科学のその先のこの考え方をベースとして構築されています。)
彼らがどうすれば『高さ』を獲得できるのかという問題については、もともと世界は3次元なので歩きさえすれば多少の高さの上下はしてたことになります。
ひとつ次元をあげたのが私たちの感覚。しかし、『時間軸』は3次元空間の時間的移動にすぎない。(つまり、これは『3次元空間の時間的最適化』に過ぎない。)
超情報場(仮説)とは『この世界は3次元ではないのではないか』というもの。
空間という表現では3次元(cube)空間という意味に限定されとられる場合もあるので、『空間』を『場』という言葉に置き換えられる。
1次元の線を移動すれば2次元の平面になる。さらに2次元の平面を移動すれば3次元の空間になる。
簡単ですよね。
同じように3次元空間を移動させるとさらに高次元になるのではないか。
ここからが「フレーム問題」解決のポイントです。
「フレーム問題」ってなにかが先ですね。
例えば「レストランフレーム」は、「ここが(喫茶店やギャラリーではなく)レストランだとわかるのは『そこがレストランだから』」です。
これは、この世は初めから物理空間よりも高い抽象度をもつ「超情報場」なので、高い抽象度に上がれば「ここはレストランです」と書いてあるという仮説に基づくものです。
3次元空間に限定された話という思い込みがあって定義しようとすると「レストラン」なのか「ギャラリー」なのかなどの区別は決してできなくなる。
(これが所謂☆「フレーム問題」です)
この「場」のことを「超次元場」とよびます。
さらにそこは「情報場」なので「超(次元)情報場」と呼びます。
つまりこの世界が次元がたくさんある情報場だとはじめから認識してしまえば、抽象度をどうやってあげるとか「自我」や「内省的意識」がどうなっているかなどについて考える必要はなく、自由に移動するだけで勝手に抽象度が上がってしまう訳です。
つまりこの「超次元情報場」を移動するだけで「ここはレストランです」と書いてあるのがわかるのです。
五感とは違う何かは分からない感覚器が人間には備わっていて、「超次元情報場」の次元があがると「レストラン」とかかれた情報が自然に読み取れてしまうのです。
物理場は超情報場の現れのひとつに過ぎません。「書いてある」という言い方は比喩であって、実際にはもともと先にその情報場があって、それが物理場で写像のように表現されているのです。
なので「書いてある」は「書いてなくてもわかる」という意味です。
ちなみにアフォーダンスの理論(参考書籍「意識とは何か」等にあります)は「3次元空間に情報がかかれている」という古い概念。
「超情報場」仮説とは、超情報場
先にあって(マスター)、その次元の下がったところに物理場があるというものです。
以上「認知科学への招待」p160–167に対応します。
気功技術「スーパーレタッチ」も「未完」のアルゴリズムもベースはこの理論です。
まさ^’^/