一体その違いは何であるのかを知ろうとすることです。
(引用開始)
まさ先生
ハーミーです。
お願いします。
昨夜は開始時間前に眺めつつ読んでいた「うたうこと」の本の難易度、理解度?が急に変化した瞬間を感じました。ライブ10分前位のことです。
頭皮に気が流れてくすぐったいな~と思ったら寝てました。
夜中目が覚めたら楽しいアニメかコメディ番組などを体験したようなウキウキした気分で楽しく二度寝しました。
二度寝から朝までは腕の痛みが酷くて何度も目覚めました。
10年間位痛い場所なのですが最近はすっかり忘れていました。
ハードに打った影響と周りの脱力が進み痛めた箇所が意識に上がったのかなと思います。
打球フォームそのものを見直したりする時期だと思い、過去ブログの「筋トレ」検索しました。
イメージトレーニングですね。
どう緩めて、どこを使うのか頭がパンパンです。筋肉だけじゃないですし‥
毎日全仏テニス観て、「今までと違う見方が出来てる自分」と「もっと高いレベルで見れる&出来てる自分」もイメージしています。
先日の大会、メンタルの力がかなりアップしてました。
試合前のナーバスな部分を上手くコントロールしてまだまだ進化したいと思います。
結局、今まで必死になって現状の最適化を目指していたんじゃないか?と感じて勝手に錦織君と心で対話しています(笑)
しかし返事が来ないので、まさ先生今度打球フォームとか相談に乗って下さい
全く違うルートに向かうべきだと思いました。
意地になって私はあまり疲れてない!と思い込もうとしてましたが、実際はかなり疲れてました。。
以前なら寝込んでましたが、疲労で済むのは進歩です。
とっても助かりました。
ありがとうございます(^^)☆
(引用終了)
「うたうこと」(Singing、フレデリック・フースラー)を読み、自分の脳へ質問をして瞑想することです。
問いの抽象度が全てです。
考えもなくトレーニングを続けても、所詮同じ地平を走り回っているだけ、、、おっしゃる通りです。
しかし、善悪や道義の問題ではなく、同じところに居付いて離れられないのはホメオスタシスやゴールの問題に収斂されます。
すべからく自分で気がつき、登る梯子をゴールによって選択していかなければなりません。
自己責任であり、また生き方はどれを選ぶも本人次第で、その価値判断は自分自身でしかないのです。
フィギュアスケートのカムバックの話題で有名なM.A.選手も、(善い人には違いないでしょうが)一番大事なエフィカシー(教育)についても疑問の残るコーチに、またコーチをお願いしたと(確か)記憶していますが、ゴールを考えれば僕には理解に苦しみます。
(まあ、世界一になったことのある彼女ならばオリンピックの金メダルならばコンフォートゾーンの圏内ではあるのかもしれません。)
しかし、例え漫画や空想世界であってもありえないコンフォートゾーン外に自らゴールを設定し続ける内村航平選手のようなやり方の方が結果は出るのだろうと推察します。
(あ、僕はM.Aさんは大好きですよ。)
さて、フィードバックをくださったハーミーが身体の階層性に気付いたのは、素晴らしいことです。
先述したかもしれませんが、ご本人も言っている例えばフォームそのものは、ひとつ以上抽象度が高い世界の射影に過ぎないのです。
瞑想を続けることです。
頭はパンパンになっても、自ら考え続ける価値があるのなら「その先の」抽象度の高いゴールなり質問をどんどん作り出して瞑想することです。
合気道の塩田剛三氏の4,50歳台と晩年の演技をyoutubeで見るとまるで抽象度が違います。
一体その違いは何であるのかを知ろうとすることが第一歩です。
そして、その方向性の答え(その先のゴール)は先ず自分で出すしかないのです。
ケインズではありませんが、古い考えを捨てることこそが一番困難なことなのです。
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Bella Ferraro(ベラフェラーロ)の記事です。この歌(ステージ)大好きです。
だからこその背水の陣(I have no backup plan)であり、それはケインズの言う「アニマルスピリット」の射影ですね。^^/
http://s.ameblo.jp/masaworks4u/entry-11867694269.html?
まさ^’^/