「パパ、夕日は沈んでないよね。 地球は宇宙空間に浮いているんだよね。」「うん。そ、そうだよ。」

先日、数年前に20年間苦しんだ幻肢痛を
2-3分で治してあげた方とお話をしました。

幻肢痛はまさにまぼろしです。

切断してなくなった足の先がずっと激しく
病んでいたそうですが、あっという間に消えるのです。

つまり、痛いかどうかは脳が処理をして
判断しているということです。

しかし、驚くことに僕との会話の中で
彼は「でも、本当に痛かったんだ!」と主張します。

「いや、現象として痛みがあったのは事実ですが、
物理的な事実ではないですよね。
脳がまぼろしを感じていたということですよね。」

と確認するように言ったのですが、、、。

彼の頭では理解ができていなかったようです。

「いや違う!あれはまぼろしではない!」って言うのです。

「うん、痛みはまぼろしではないのですが、
でも物理的に起きていないということは、
脳がまぼろしを生み出していたのです。よね?」
と聞いたのですが、、、。

通じない^^;;

「いや、あれは実際に痛かったんだ!」

どうやら本人の頭の中で、パラダイム転換はしなくてもヒーリングは効くこともあるということです。

話は変わるのですが、
最近僕の先生が「新しい理論は理解などできない。慣れるのだ」
という主旨のことを書いていたのをブログで拝見しました。

どういう意味か、初見では理解できませんでしたが、
あるエピソードを思い出してふとわかりました。

見かけ上、太陽が昇っているように見えたり
沈んだりしているように「見える」僕らは、
気象庁が未だに使っている「日没」という言葉や、
「月は昇るし、日は沈む」という歌に
僕らが「慣れて」しまっているからだなと思いあたりました。

まあ、すでに天動説を採用していない21世紀の僕らとしては、
ガリレオの時代から400年経った今でも
「洗脳」から解けていないということでしょう。

あ、エピソードですが、僕は習ったことは子供にすぐに話をします。

子供が保育園の年長さんの時に僕が「お迎え」にいって
息子と手をつないで歩いて帰ってきたときです。

夕日が目の間に真っ赤に「沈んで」いたのです。

すると、5-6歳の息子が僕にこう言ったのです。

「パパ、夕日は沈んでないよね。

地球は宇宙空間に浮いているんだよねー。

地球が後ろ側に回っているんだよね。

でも、保育園の○○先生には沈んでいるように見えるんだって。

おかしいよね。地球は回りながら、宇宙に浮かんでいるんだよねー。
今日先生に教えてあげたよ。ここは宇宙ですけど何か?って(笑)」

って、、、、!!

ちなみに、「ここは宇宙ですけど何か?」というフレーズは
僕の先生のブログの表現をそのまま息子に教えたのですが、、、
彼は、かなり多用します。

こんなゲームやってたら、そういう感覚も出ますよね。

あの時、息子に教えておきながらも「沈む夕日」を「感じて」いた僕は、
改めて相変わらず僕自身が天動説の感覚でいたことがわかったのでした。

今は、「大地」というよりも、地球がふわりと自転しながら
浮いていてそこの時空間の歪みで生じた重力で地球にかろうじて
張り付いている感覚があります。

やっと慣れてきたかな?(笑)

まさ^’^/

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