And in the end it’s not the years in your life
はい。本日のビデオです。
かなり身振り手振り入っていますね。
今日は、僕がどのように情報が見えているのかということを後半ではお伝えしています。
気が見えるという人はいます。
僕は、以前は信じられませんでした。
気を感じることすら、ままならなかったからです。
いえ、ちょっと待って下さいね。もっと正確に言えば、感じていると思っていました。
いや、感じていました。
でも、今考えると、本当は感じられていませんでした。
これは、僕一流の(オイいつから一流なんだ!笑)大いなる勘違いですね。
その時はその時で、これは感じているんだと思い込んでいたということです。
エフィカシーと呼んで良いものかどうかはお任せしますね。
僕は、このことすら、エフィカシーにカウントします。(無知の智に恐ろしく近似しています。ほぼ同値ですが、、、)
でも、エフィカシーにしてもよいのです。
そこでも、きちんと遠いゴールがあってそこに大きな不満が共存しているので、これくらいの勘違いはいいのです。
ゴールに進む推進力を僕はいつも探していました。
つまるところ、
大切なのは年齢・何年生きたのかではなく、
その年月を
どうやって生きてきたのかである
探さなくても、その道具に使っていたわけです。まだまだ遅々として進んでいない自分を感じていますが、自分の全てをハリーの特別列車というオンライン気功スクールに向けています。
どのように説明をしようか。どうしたら、伝えられるのか。
言葉では到底現すことが出来ないであろう風景とか、ゲシュタルトを身振り手振りを混ぜて行っています。
参加者のフィードバックが、このクラスの僕の方向性を決めてくれています。
まさ^^/