父から学んだこと。父の口癖だったような言葉を思い出して自分の中で再構築しています。
その言葉は、何でも人のせいにして自ら余計なトラウマのようなものを作り出すような被害妄想ちゃんにならないためにも、世界中で起きている森羅万象を自分の世界として捉え直すという実はすごい方法だったことに気がつきました。
父は何かがあって落ち込んだり泣いている自分の子供に、横からボソッとこう言い聞かせていました。
「全て自分が悪い」
僕が悪いことをしたわけではないのに、そのように厳しいと思えるような言葉で説明をしてくれました。
しかも、一言ただ「全て自分が悪い」というだけです。(言い方が気になる方は「全ての関係性は双方向である」とでも言い直せば良いでしょう)
ちょっとでも何か自分が気に入らない言葉と感じると「あいつは私のエフィカシーを下げる。ドリームキラーだ!」としてしまう人がいる。
エフィカシーとは自分のゴール達成能力に対する自分の自己評価のことである。そしてエフィカシーは過去の実績や現在の状態などの根拠とは無関係の概念だ。
根拠があると別の根拠を提示されて脆くも崩れ去ってしまうからだ。
だから、エフィカシーという用語はコーチングや心理学では、いわゆる「自信」という通常使われている言葉とは、あえて別の用語で使われている重要な概念なのです。
そして、エフィカシーを下げる相手からは離れろ!(これは正しい教えではあるが)と何でもかんでも当てはめてしまう方もいるだろうが、これでは世間は渡っていけない。
最終的にエフィカシーを下げるのは自分自身なのだ。エフィカシーは外的な根拠などない概念だということをしっかりと頭に入れておくべきだ。
言葉尻だけをとると、一見エフィカシーを下げるような言葉にとってしまいがちだが、何かことが起きた時に原因は自分にあるとする自己責任の教えである。
少し説明を入れようと思う。
「イヤな気持ち」を消す技術
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言葉は発信する側の意図、そしてそれ以上に受け取る側の抽象度、つまり両者の関係性による。
意味は常にシチュエーションの中に埋め込まれているのである。
明らかに相手が何か悪いことをした時でも「あ、自分のせいかもしれない」と自分の方に向きなおること。そして、自分が次にその事象と同様のことが起こらないようにする為に防ぐ方法を思考するきっかけとする。
これを自分のIf-thenフォーミュラリストに入れておくことでどんなことがあってもゴールに繋げることが可能となる。セレンディピティ能力を自分のアティテュードを変えることによって獲得する方法である。
If-thenとは、もしもこういうことが起こった時はこういう具体に対応するという自分の選択肢を決めて置くことである。
簡単な関数をあらかじめプログラミングをして置くことだ。
例えば、「ご飯を見たら、角砂糖がと置き換えて見る」というのが僕のフォーミュラの中にある。
「よく脳にはブドウ糖が必要なので、ご飯もしっかりと食べましょう」とだけ解説しているダイエット本があるが、血液中に流れる糖は4gということや、WHOがガイドラインとしている一日の糖の量は25g未満という知識があるのかどうかという教える側と受け取る側の知識の問題について考察すべき機会となる。
もちろん、厳密に言えばご飯と角砂糖は同じじゃないということもわかっているし、筋トレなど何らかのトレーニングをされている方は、ご自分で何をどれだけ摂れば良いのかをwant toで情報収集してみるのも良いだろう。しかし、僕自身は単純に炭水化物や糖分を摂りすぎる傾向にあるので、この単純なフォーミュラでいいのだ。
するとほとんどのダイエット法(無邪気なお節介おじさんやお姉さんの商い)に付き合わされる羽目にならず、自分で食べるものを学習し選択していけるようになる。
それから、よく「どうして、これが正しい知識だとか、これは違う。オカルトとか分かるんですか?」と聞かれるが、最終的には自分で情報収集をして自分で答えをだすしかないのではないか?
当たり前のことだし、それに僕は自分がその時々に得て結論とした情報も含めて、この世界に絶対に正しい知識が落ちているなどとは思ってはいない。科学は常に進化しているのである。
まあ「ご飯一杯を見たら、角砂糖が9個あると置き換えて見る」というフォーミュラは助けになる。
アティテュードは意識して変えることができる行動特性だが、繰り返すと自身の信念体系とも言えるブリーフシステムを書きかえることが可能になるのである。
これが、自我関数の書き換え方であり、あなたの人生の変え方とも言えるメインのフォーミュラの一つとなるはずだ。
単純にカッとなって、IQを下げて相手のせいにするだけでは片手落ちどころか、抽象度をあげる準備ができていない。
「あ、自分のせいかもしれない」という内省こそが自らを客観的に見て、評価することであり、その時に考えたことは、全てが前頭前野による評価になる。
また「あいつが悪い」とか「あいつは許せん!」などという情動のゲシュタルトは、前頭前野評価ではなく「許せん」「許せん」という無限の情動が繰り返されることとなる。
あらゆる自分にとって嫌な出来事に対して行うことです。
人から発せられた失礼な発言にも逐次対応するのです。
あなたは、あなた自身の脳を情報的にも物理的にも何も起こらず何も傷つけられていなかったかのごとく新しい皮膚に修復したような状態に戻すことが可能なのです。
これも「意識する自分を意識することからヒーリングが始まる」という言葉の一つの例です。
まさ^^/