そろそろ「一目惚れ」祭りの熱狂は冷まさなければならない

すべては愛なんだよ愛!

というと、なんだか納得してしまいますが、この表現は単なるトートロジー(同語反復、堂々巡り)です。

我々が意味があると思っている言葉の(多分)ほとんどは、厳格な定義が不可能な、非常に曖昧な概念であるのです。

その定義には個人差があり、それぞれが使う同じシチュエーションですら、すれ違っていることが少なくありません。

ベイトソンの「精神の生態学」から引用します。ベイトソンは父と娘の会話(メタローグという)という形式を用いて、様々なトピックにていて説明してくれます。

問いそのものの扱い方や、関係性のネットワークとして物事を捉えるための整理になります。

是非読んでください。

一読しただけではわからなくても、暫くして一度何かがつかめると物事が関係性によって絡み合っているということが、鮮明に浮かび上がる瞬間を体験できます。

「説明原理」についてです。

(引用開始)

娘「パパ、本能って、何なのかしら?」

父「本能とはね、一つの説明原理さ」

娘「何を説明するもの?」

父「何もかもだ。説明してもらいたいことなら何でも説明してくれる」

娘「うそでしょう?重力は説明してくれないわ」

父「それはだね、だれも、”本能”で重力を説明したくないからだ。その気にさえなれば、立派に説明してしまうよ。月は距離の二乗に反比例する力で、物体を引きつける本能がある、とかね」

娘「そんなの、ナンセンスじゃない」

父「そうさ、だが本能なんてこと言い出したのはお前だぞ。パパじゃない」

娘「いいわ。でも、じゃあ、重力は何で説明したらいいの?」

父「重力を説明するものか。それはね、ないんだ。なぜなら重力が一つの説明原理だからだよ」

娘「ふーん」

(引用終了)

良く考えると、僕らはこの「説明原理」という概念すら知らずに、平気で様々なことについてアプリオリに理解しているように思います。

そして、それは(ここでは詳しく話しませんが)、ジジェクが「暴力」の中で言っている「見えない暴力」に通じているのです。

閑話休題。

愛は関係性のお話でした。^^;

愛というと、誤解を受けやすいのですが、、、、。

愛もまた関係性に過ぎません。

セッションにおいては、抽象度の低い愛は邪魔になります。

ヒーリングにおいてだけではなく、あらゆるパフォーマンスにおいて圧倒的な結果を出したければ、ヒーラー自身は情動に左右されないくらいの高い抽象度を維持することは必須です。

「可哀想に」などとどっぷり共感してしまった状態というのは、一見善いヒーラーとか人間味のある温かい人のように思えるのですが、残念ながら結果は芳しくありません。

(そう「見せる」というのか、クライアントに寄り添うことには意味がありますが、、、。)

このような状態はセルフヒーリングや、自分に近しいクライアントのヒーリングで起こります。

ここで、ヒーラーやリーダーに求められるのは、しっかりと抽象度を維持し、場をコントロールすることなのです。

つまり、わかりやすく言えば「前のめりになって過度に結果を求めずに、淡々と機能に徹すること」です。

名残惜しいですが(笑)そろそろ「一目惚れ」祭りの熱狂は冷まさなければならないと思います。

遥か遠い理想の未来のゴールの世界を淡々と見つめ続けましょう。

まさ(-*-)

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