達成できないゴールは役に立たないのではなく、達成できないからこそ役に立つのである。

ゴールとは、現状の外にある心から望む、まあ、いわば結果である。

だから、結果的に達成できないのであれば不要という意見がある。ここで言いたいのは、目標達成率病という重篤な病にかかっていないかと自分を疑ってみることである。

会社から押し付けられていやいや立てる目標の話をしているのではない。会社が納得出来る数字で一番低いところを目標にして、達成率で査定するというのではおよそ仕事と呼べるものでもなんでもない。

揶揄するつもりもないが、それは会社の奴隷と言われても仕方がない。そういう文化の会社に仕方なく勤めているのなら、、、その話ではない。あなたの一度きりの有限の人生のゴールの話だ。

しかし、そもそも現状の外側にあるゴールとは現状の自分には見えないものでもある。

なので、設定できるゴールはせいぜいギリギリ現状の内側にある程度のものになる。

それを、達成できないならば不要というのでは、話にならない。

もしも、手に届くような(例えば前年比で120%とか、まあ数倍の)ゴールを立てて、達成率をもって「結果が出た!」「ゴールを達成できた!」という遊びに興じたいのならばそれでもいいのだが、それはまさワークスで言う「ゴール」などではなく、「予定」のようなものです。

120%や数倍のゴールであれば、やり方すら変わらない。せいぜい早くやるくらいのものになってしまう。戦術は変わるかもしれません。

少なくとも無意識にとっては「変わらなくても良い」という命令でしかない。コンフォートゾーンがずれることもない。

しかし、圧倒的にはるか遠いゴールを目指したときには、考え方をも変えなければならない。

考え方は少なくともひとつ上の抽象度(あるいはパラダイム)とならざるを得ないし、例えばビジョンとか戦略と言われるものから変わっていく。

もちろん、だからといってうまくいくことが保証される訳もない。

しかし、見込みちがいがあって、フィードバックで大きなギャップがあればこそ、さらに変わらなければならないと無意識を変えられる可能性が出てくる。

すなわちゴールとは目的ではなく、機能なのです。

達成できないゴールは役に立たないのではなく、達成できないからこそ役に立つのである。

そして、もっと肝要なことは、ゴールは自分自身の選択によって心から望むものでなければならない。

まずは、コンフォートゾーンをずらして、現状が針の筵(むしろ)のように感じることがなければ、ゴールも画餅に終わってしまう。

コンフォートゾーンがシフトして初めて僕らはホメオスタシスを利用することができるのである。

だから、今、とんでもないピンチの状態にある人は、その状態を起爆剤に使えると思って、とても手に届くはずもないけれども心から自分が望む状態にゴールを設定することであり、そのゴールの世界にいる自分に圧倒的な臨場感を感じることである。

頑張りましょう!

まさ^^/

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